叡智の三猿

〜森羅万象を情報セキュリティで捉える

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ねるねるねるねのタグライン

知育菓子

ねるねるねるね(クラシエフーズ)です。

わたしが子どもの頃は、このお菓子はありませんでしたが、いまの30代の方にとっては懐かしい駄菓子と感じるのでしょう。

ねるねるねるね(中身)

このお菓子は1ばんふくろが重曹(炭酸水素ナトリウム)で、2ばんふくろがクエン酸です。この二つを混ぜると

  • 3NaHCO₃ + C₆H₈O₇ → Na₃(C₃H₅O(COO)₃ + 3H₂O + 3CO₂

という化学反応で炭酸ガスが発生して膨らみます。

ちなみに3ばんふくろはラムネです。膨らんだものにラムネを絡めて食べます。

味は微妙でした・・・😅

そもそも、重曹とクエン酸の組み合わせは、エコ洗剤として使われてますからね〜身体に害はないですが、食べたいかどうかは別問題ですね。

さて、この「ねるねるねるね」ですが、秀逸なのは、商品につけられた「タグライン」です。

「タグライン」とは、販売する商品やサービスがお客様にどのような価値を提供しているかを定義した言葉です。「キャッチコピー」と似ていますが、キャチコピーは消費者のコロロを掴む、印象的な宣伝文句です。両者は明確に区別できないこともあるのですが、どちらかというと「タグライン」は不変の言葉で「キャッチコピー」は、時期によって変わる言葉といった感じです。

ねるねるねるねには「知育菓子」というタグラインがつけられています。

知育菓子

駄菓子屋の思い出

子どものころ、よく駄菓子を食べました。小学校のすぐ近くに駄菓子屋がありました。10円、20円で友だちと駄菓子を買って、食べていました。

いちばん人気は、シャンペンソーダ(松山製菓)でした。この粉末ジュースはすごく人気で、クラスでシャンペンソーダの歌(替え歌)をみんなで作って合唱しました。

その次がココアシガレット(オリオン)です。小学生がタバコをくわえる大人の真似をして食べるお菓子でした。

駄菓子屋

駄菓子は子ども心を捉えますが、親の心は拒否を示します。「食べたら虫歯になる」「食べたら骨が溶ける」・・・食べてよいことなどひとつもないお菓子とされていました(あくまでそういうイメージです)。

そんな駄菓子のイメージに「知育菓子」というタグラインをつけたのが「ねるねるねるね」です。これにより、「粉を混ぜて膨らまして、色が変わるのを体験することで、豊かな創造力を育むお菓子」という意味を持たせたのです。これは親の心を捉える見事な「タグライン」だと思います。

この「タグライン」によって「ねるねるねるね」はロングセラーであり続けるでしょう。

誇大広告と完全性

ところで、「ねるねるねるね」で遊びながら、わたしが思ったのは「誇大広告」の意味についてです。

ネット社会となったいま「誇大広告」は、情報セキュリティの脅威のひとつとされます。

たとえばECサイトに掲載された健康食品が実際には、存在しない効果を書いていたら、それは景品表示法の「優良誤認」にあたります。それにより、ECサイトの「完全性」を失うことになります。

「完全性」とは、情報管理の三原則として挙げられる「機密性」「完全性」「可用性」のひとつです。「完全性」は、持っている情報を正確な状態で管理することを指します。

むかしマーケティングのイベントに参加したとき、ある講演者の方が「誇大広告」についてこんな話をしていました。

広告に必要なのは、その商品が100の価値であれば、100として伝えることです。これを120として伝えると誇大広告になります。80として伝えたら、広告としての役割を果たしていないことになります。


この言葉を聞いたとき、わたしは「なるほど❗️」と、ガッテンした気になりました。

しかし「ねるねるねるね」の秀逸なタグラインを見たとき、わたしは講演者の言葉を消化出来てないことに気がつきました。

「商品の価値」は言葉で変わる

そもそも、商品の価値とは、商品自体にあるのでなく、商品と広告(言葉)のかけ算だと思います。

  • 商品 × 広告(言葉)= 商品の価値

そもそも商品に言葉がなければ、そこに価値は見出せないと思います。たとえば、公園の水飲み場の蛇口を捻ったら、水が出ますが、この水には「商品としての価値」はありません。

水飲み場の水

一方、コンビニで売っているミネラルウォーターは商品としての価値があります。同じ水でも言葉によって価値は変わります。

ちょっとオーバーな話ですが、平成の思い出を伝えるための「平成の空気缶」なるものが、発売されていました。空気自体には「商品としての価値」はありません。しかし「平成時代への感謝の気持ち」を詰め込んだ空気の缶詰めという広告がつけば、商品としての価値が生まれる例もあります。
www.heso-pro.com

ですので、商品が価値を持つには、広告という言葉のチカラが絶対に必要だと思うのです。

例えば「ねるねるねるね」にこんな言葉をつけてみます。

「色が変わり膨らむお菓子」

そうすると、ねるねるねるねの価値はー

  • 「ねるねるねるね」 × 「色が変わり膨らむお菓子」= 「ねるねるねるねの価値🅰️」

となります。

一方「知育菓子」という言葉をつけると、ねるねるねるねの価値はこうなります。

  • 「ねるねるねるね」 × 「知育菓子」= 「ねるねるねるねの価値🅱️」

🅰️も🅱️も「ねるねるねるねの価値」です。でも、明らかに🅰️より🅱️の方が価値が高いと思います。もし「ねるねるねるねの価値」が🅰️として市場に出ていたとしたら、単なる怪しい駄菓子でしょう。子どもが欲しがっても、親が「やめときなさい❗️」と却下する可能性が高いと思います。

広告によって商品の価値は変わる

商品の価値は、広告で変わります。そうすると、商品の価値をそのまま伝えるのが広告の「あるべき姿」という図式は成り立たないと思うのです。

「誇大広告」はよくありません。でも、どこから誇張的すぎる表現(誇大広告)として認識されるかの線引きはとても難しく考察が必要だと思いました。