5月18日、韓国スターバックスが「5・18タンクデー」と名付けたタンブラーのキャンペーンを始めました。でも、その日は46年前に軍事政権の戦車が民主化運動を踏みにじり、数百人が命を落とした光州事件の記念日です。光州市では人々がスターバックスのマグカップを次々と叩き割り、SNSには怒りの声があふれました。李在明大統領も「市民の血が流れた闘争を侮辱している」と声を上げ、スターバックスコリアはその日のうちに謝罪、代表が解任されました。まだ、騒ぎは収まっていません。
光州事件というのは、韓国現代史の中でも特別な重みを持つ出来事です。1980年5月、軍事政権に反発した市民や学生が光州で蜂起しました。政府は戒厳軍を投入し、丸腰の市民に向けて発砲。数百人が命を落としました。その後、長い間この事件は「暴徒による反乱」として封じ込められ、真実は統制された情報の中に埋もれていました。それでも語り継いだ人たちがいて、5月18日はいまも韓国で「民主化運動記念日」として刻まれています。その日に「タンク」という言葉を無邪気に使ったマーケティングチームが、どれほど深い傷に触れてしまったか。悪意ではなく無知だったとしても、やるべきではなかったでしょう。
このニュースに触れたとき、わたしは「五月の青春」というドラマを思い出しました。まさにあの光州事件を舞台にした韓国ドラマです。1980年の5月を生きた若者たちの姿が丁寧に、そして切なく描かれています。歴史の教科書には載りきらない、あの時代の空気感や人々の感情が画面の中からじんわりと伝わってくる作品です。

主人公は医大生のファン・ヒテ。演じるのはイ・ドヒョンです。「ザ・グローリー」や「Sweet Home」でもその存在感を見せてきた俳優で、このドラマでは民主化運動の熱気とは距離を置きながら故郷・光州に戻ってきた青年を、不器用な誠実さで体現しています。歴史の渦の中に気づかないまま巻き込まれていく様子が、他人事ではない感覚をじわじわと呼び起こします。
そしてこのドラマを語るうえで、女優のコ・ミンシは重要です。もともと彼女のことが好きで、出演作はずっと追いかけてきました。いじめっ子役や意地悪なキャラクターを演じることが多かったけれど、それでも画面に映るたびに存在感が際立っていて、目を引かずにはいられません。その彼女が「5月の青春」で見せた看護師キム・ミョンヒの姿は、ファンとして胸を打つものがありました。不条理な時代に翻弄されながらも折れずに前を向く女性を、力強く、でもどこか柔らかく体現していて、見ているこちらまで勇気をもらえるような気持ちになります。「Sweet Home」では兄妹として共演したイ・ドヒョンと、今度は恋人として向き合う二人の空気感も絶妙で、悲しい時代の中に咲く淡い恋が一層胸に刺さります。コ・ミンシってやっぱりすごい、と画面の前で何度うなずいたことか。
スターバックスの騒動を眺めながら、ぼんやりと考えてしまったことがあります。もし情報が100パーセント統制された社会だったら、このキャンペーンへの批判はそもそも表に出なかったでしょう。怒りは胸の中に押し込められたまま、代表が解任されることもなく、謝罪もなかったかもしれません。波風は立たない。でも光州事件だって、当時の軍事政権は「統制」という名のもとに真実を覆い隠そうとしました。その息苦しさの中で声を上げた人たちがいたからこそ、いまの韓国の民主主義があります。統制された社会の「平和」は、ときに沈黙を強いられた人たちの上に成り立っています。
じゃあ逆に、すべての情報が完全に自由に流れる社会はどうでしょう!?今回のように企業の失敗はすぐに可視化されて、責任の所在まで届く。それは痛快かも。でも同時に、誰かの些細なミスも消えない形で世界中に広がっていく。フェイクニュースも、悪意ある情報も、善意と同じ速度で流れていく。誰もが発信できる自由は、誰もを傷つけられる自由でもあります。全部が丸見えの社会は、思ったより息苦しいかもしれません。結局どちらが幸せかと問われたら、正直わからないというのが本音です。たぶん人間は、完璧な自由にも完璧な管理にも、どちらにも慣れることができないのでしょう。
韓国ロックバンド・버즈(Buzz)の「나에게로 떠나는 여행」、「Journey for Myself」という曲があります。この曲の歌詞の中に、こんな一節があります。「더물러 한잔에 널 걸어 높이고 이제 나를 좀더 사랑할거야」——タンブラー一杯にあなたへの思いを預けて、もっと自分を愛していこう、という意味です。
スターバックスが炎上のきっかけに使ったタンブラーですが、この曲では自分を解放するための小道具として登場する。同じものが、一方では抑圧の象徴として叩き割られ、もう一方では自分への旅へと背中を押してくれる自由な器となってます。
この曲を知ったのは、チョン・ウンジのカバーがきっかけでした。彼女の歌声で初めて聴いて、それから原曲のBuzzへとたどり着きました。名曲が人から人へ、声から声へと伝わっていく——それ自体がひとつの「旅」のような気がしてきます。
情報が自由すぎても管理されすぎても、人は迷う。でもタンブラー一杯分の静けさの中で、自分の声に耳を澄ますことはできる。そんな気がしています。