叡智の三猿

三猿×情報セキュリティ×はてな で発信します。

会社の人格



前回のブログで「法人が個人のような一定の人格を有していると解釈することは合理性がある」ことを書きました。
www.three-wise-monkeys.com

今回は会社の人格について、考えたいと思います。

経営理念

どの人も物事について「こうあるべきだ」という根本的な考え方があります。それはその人の人格に大きく寄与します。

会社で「こうあるべきだ」を内外に示した言葉が理念です。会社の理念には、普遍的で変わらない「企業理念」と、経営者が経営への想いを明文化した「経営理念」があります。

会社の人格をみる上で、トップのメッセージである「経営理念」は特に重要だと思います。「経営理念」を社内・社外に発信・共有することで、会社の人格をアピールすると共に、社員は理念に共鳴することで、働くための動機付けとなります。

経営理念は具体的な数値目標を示すことはまずありません。たとえば「売上100億円を目指します」というのは、理念ではなく経営目標です。

かってわたしが在籍してた会社では、人事畑の社長のときは「愛と正義」を標ぼうし、技術畑の社長のときは「技術こそ芸術」とうたい、営業畑の社長のときは「風をおこそう」といいました。社長の歩んできた社会人としての人生観が「経営理念」に見事なまでにあらわれています。

「経営理念」を見れば、会社の人格(会社の性格、個性、行動様式)を伺うことが出来ます。

これから就職をする人、転職を考えている人は、会社の「経営理念」をじっくりと読むことをオススメします。そこに自分がフィットするか、しないかを考える価値があります。

成功したサイコパス

「経営理念」は会社の人格を示す言葉です。

一方、すべての会社は「利益」を出すことが絶対的な使命です。利益の出ない会社はどんなに素晴らしい「経営理念」を掲げても、市場から撤退します。市場に残るためには、ライバルである同業他社を蹴落とし「利益」を確保し続ける宿命にあります。

f:id:slowtrain2013:20200625210926p:plain:w300
利益の無い会社は消える
人間は「生産性」という物差しで、その価値を測ることは出来ません。昨今は「生産性で人間の価値を測る」ような誤った情報発信をする人もいるようですが、人間は生きていることだけで価値があります。「社会」はあらゆる人を生きづらくさせてはいけないと思います。

しかし、会社は「社員ひとりひとりの生産性」をすごく重視します。生産性の低い会社は「利益」を出すことが出来ないからです。

「人間の人格」と「会社の人格」の本質を考える上で「生産性」に関する考え方の違いは重要だと思います。

会社は全ての人に好かれようとします。ですので、ソトズラが抜群に良いです(たとえ社内の人間関係がぐちゃぐちゃでも・・・)。そして元気です(たとえパワハラが社内で蔓延していても・・・)。当然ながら業界での順位にこだわります。合理化して利益をあげることをいつも考えています。

すべては「利益」のためです。会社は「利益」のためならどこまでも貪欲になります。

このような会社の行動の特徴は、次のように表現できます。

  1. やたらと元気
  2. 上下関係にこだわる
  3. 罪悪感がない
  4. 発言がそらぞらしい
  5. こころがない
  6. ソトヅラが良い
  7. 合理化をいつも考える

これはサイコパスという「精神病質者」の範疇です。一般的にサイコパスは反社会的人格、精神障害者の持ち主を表す言葉です。

わたしが観たサイコパスな映画で、真っ先に思い出すのが羊たちの沈黙です。アンソニー・ホプキンス演じるレクター博士の猟奇的な行動に多くの方が、恐怖の旋律を味わったはずです。

もちろん、会社は反社会的人格ではありません。が、精神的には一種の「成功したサイコパス」と、呼べるかもしれません。

この会社の「サイコパス」は、特に不祥事を起こした時に端的にあらわれます。平時に於いて、美しい経営理念を標榜する会社も、非常時に仮面を剥ぐのです。

不祥事を起こしたとき、トップが法人を代表して謝罪する光景がよくテレビに映ります。それは当たり前のことです。 しかし、その会見の言葉は、血の通っていない「空々しく、こころがない」印象を受けるのは、わたしだけではないと思います。

謝罪が空々しいのは、そもそも法人には罪悪感がないからだと思います。法人は世間からバッシングを受けても、時が過ぎれば、川の水の如く、人はそのことを忘れると思っています。

トップは会見の場で、紙に書かれた原稿を棒読みしているように見えます。それは、言葉を暗記する能力がないからではありません。言葉を伝える表現力がないからでもありません。原稿を棒読みすることで「この言葉はわたし自身のこころを表明したものではありません。法人としての言葉をトップとして代読しているのです。」という姿勢を示しているからです。

例外的に謝罪会見で「こころがある」と感じたのは、1997年に山一證券の自主廃業による謝罪会見です。このとき、就任して間もない社長であった野澤正平氏が「私らが悪いんです。社員は悪くありません!」と号泣しました。この会見は大々的に報道され、大きな話題を呼びました。

この会見では会社が廃業という選択をしたとき、法人の人格を捨て、人間の人格が出たのだと思います。
youtu.be

会社の人格・・・それは右脳に「経営理念」を持ち、左脳に「サイコパス」を持ち合わせた、摩訶不思議な脳の持ち主なのでしょう。

f:id:slowtrain2013:20200625205604p:plain:w300
会社の人格
いちど、ハンニバル・レクター博士のごとく会社の頭蓋骨を外して、じっくり会社の人格を観察出来るものであればしてみたい気がします😅