松本清張の推理小説にハマる
遠いわたしの青春時代、松本清張の推理小説にハマっていました。清張の推理小説は、社会派と言われます。現実社会と向き合う中で「何故、その人は犯罪を犯すのか!?」を清張は描きました。それは奇異なトリック中心のゲームのような推理小説とは深みが違うと思いました。
何故(Why?)とは、ズバリ「動機」です。不正や犯罪に至る「動機」は、その人の性格、志向性、生きてきた環境により導かれます。
米国の犯罪研究者であるドナルド・クレッシーは「機会」「動機」「正当化」の3つの要因がそろったときに不正行為はおきると提唱しました。これを「不正のトライアングル理論」と呼びます。このなかで、もっとも人間的要素が大きいのが「動機」です。「動機」を深く掘り下げていくと「人間は何故生きるのか!?」という、超難問に突き当たるかもしれません。
触れられない「動機」
不正行為の原因となる「動機」には、例えばこんなことがあります。
- 返済が困難な借金を抱えている。
- 過剰なノルマを課せられプレッシャーを感じている。
- 待遇が悪く、組織や上司への不満がある。
「動機」はこころの要因です。こころの要因を組織として解決するのは、非常に難しく、世にある「情報セキュリティ対策」は技術的対策が中心であることから「動機」に触れることはほぼありません。逆に言えば、不正候補者が「動機」を抱いても、組織として「機会」や「正当化」の要因を抑えれば、不正の実行者にならないというのが「不正のトライアングル理論」だからでもあります。
水とほうれんそうと人間関係
ただ、組織は人で出来ています。不正の「動機」を持った人を組織に置いていては活気ある「強い組織」にはなりえないでしょう。組織には人づくりが必要だと思います。
ここで、ほうれんそう(報連相)の生みの親である、山種証券(現在はSMBC日興証券)の元社長、山崎富治さんの名著「ほうれんそうが会社を強くする」から引用します。この本はまだわたしが若手社員だった頃(平成初期)、上司からの強い勧めで購入し、読んだ本です。報告・連絡・相談が組織の活性化に欠かせないことをユーモア(ダジャレ)を交えて伝えています。
本物のホウレン草に、光と水と肥料が必要なように、会社の ”ほうれんそう” にも、光と水と肥料が欠かせないようである。
まず、水というのは社内の人間関係、横文字でいうとヒューマン・リレーションに相当する。水分がなければ、植物はみずみずさを失い、生長するどころか、やがて枯れてしまう。それと同じように、社内でも円滑な人間関係がなければ、社員はそれぞれ孤立して息苦しくなり、生き生きした活動など望めなくなってしまうだろう。
光にあたるのはポストだろう。社員はよりよいポストに就くことを働きがいにして、仕事に精をだす。大きく伸びそうな植物には、どんどん光を当ててやることがたいせつだが、見込みのある人材には、やりがいのあるいいポストを与えてやることだ。ー(中略)ー
肥料は、やはり給料だろう。いくら水や光があっても立派なホウレン草を育てるには、適度な肥料が欠かせない。
(「ほうれんそうが会社を強くする(山崎富治著・ごま書房)より」)
わたしは著者が、組織の「人間関係」を「ポスト」や「給料」と同列か重視していると思いました。この視点はあまりないと思います。21世紀になり、成果主義が本格的に導入され、社員は短期的な結果を出すことを追求します。上司も長期的な視野や、部下の結果に至るプロセスを重視しません。いや、そもそも長期的な視野を持って評価出来る上司など、殆どいないのかもしれません。それで、社員を「出来る社員」「普通の社員」「出来ない社員」に選別し、待遇に差をつけます。組織の「人間関係」は軽視されていると感じます。
この成果主義への信仰が不正の「動機」を生むきっかけになっているような気がします。最近は「ほうれんそう」は不要 という、論調がよく見られるのですが、わたしは単純にそれが不要とは思えないのです。情報セキュリティへの対策として、組織のほうれんそうをもっと根付かせることを勧めたいです。
不正のトライアングル(機会編、正当化編)
(追記)松本清張の作品を映像作品で見ると「あ〜悪くはないが、やっぱり原作の方がいいな〜」と感じることが殆どなのですが、唯一の例外はこれ「砂の器」です。昭和の名作日本映画ですね。「親子の”宿命”を断ち切り、音楽家として成り上がった和賀英良の前に、突如封印していた過去が突き付けられる。」