叡智の三猿

〜森羅万象を「情報セキュリティ」で語る

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ブラームスの鳴る夜に

昭和58年、私は高校三年生。ただし、受験生らしいことはほとんど何もしていませんでした。授業が終われば友人と中野の名画座へ行き、二本立てをはしごしました。歌舞伎町のアーケードゲームのゼビウスに小遣いを溶かし、ボウリング場ではフォームを研究して高得点に夢中になり、卓球を真剣に取り組みました。深夜になればオールナイトニッポンをつけて笑う。夏が過ぎ、秋が過ぎ、模試の偏差値は40台から動きません。担任は「このままで、第一志望の合格は無謀だよ」と言われても、他人事でした。

ウォークマンを耳に当て、大好きなRCサクセションを聴いてました。

彼女教科書開いてる時
ホットなメッセージ
空に溶けてった

当時、浪人は珍しいことではありませんでした。「一浪はひとなみ」という言葉が半ば公然と使われていました。昭和58年頃の18歳人口は約170万人、それに対し大学の入学定員は約34万人に過ぎませんでした。椅子の数が圧倒的に足りなかったのです。現在は18歳人口が約106人に減ったにもかかわらず、入学定員はおよそ63万人に膨らんでいます。

しかし数字の上で椅子が増えた今の方が、子どもたちは一度きりのチャンスに全力を注がなければなりません。「現役で受かって当然」という空気が社会を覆い、浪人はいつしか失敗の烙印になりつつあります。心理的な圧迫という意味では、今の受験の方がずっと厳しいと思います。

当時の私が深夜のラジオで興味があったのはオールナイトニッポンだけではありません。旺文社の大学受験ラジオ講座です。文化放送のスピーカーから、ブラームスの「大学祝典序曲」が流れます。管楽器が高らかに鳴り響き、弦楽器がそれを支えます。大学への憧れ、学問への敬意、知の世界への祝福が詰まった旋律です。

ラジオと紙のテキストが一体になった学び方は、今から思えばなかなか味わい深いものです。放送は夜遅く、雑音の混じった音声の中から先生の説明を逃さないように耳を澄ませました。巻き戻しのできない一発勝負だからこそ、自然と集中が研ぎ澄まされました。

私は代々木ゼミナールで単科講座も受けていました。英語の猪狩先生など、ラジオ講座と同じ講師が教壇に立つこともありましたが、深夜のラジオはまったく別の感覚をもたらしました。暗い部屋に自分ひとりと声だけがある。その孤独な集中の中でこそ、言葉が直接、頭の中へ落ちてくるような感覚がありました。

偏差値の低いわたしは、勉強など何も分からないくせに、その場の雰囲気が好きでした。深夜の静寂、ブラームスの序曲、講師たちの声、手元のテキスト。なぜかアカデミックな空気の中に自分がいるような気がしました。

学習の意味より先に、雰囲気が刻まれる。耳からの情報は、長く残ります。

情報は大きく分けて二種類あります。権威ある発信源から届く情報と、身近な人の口から伝わる口コミです。

旺文社と文化放送の組み合わせは、まさに権威ある情報の典型です。教育系出版社としての確固たる実績、放送局としての公共性、そして名物講師という肩書き。それらが重なることで、情報への信頼は疑いなく形成されました。ブラームスの序曲がオープニングを飾るという演出は、その権威を補強していたようです。私たちは権威ある情報に対して、内容を吟味する前に、まず「信頼できる」と判断します。それは学びの場では効率的に働きますが、裏を返せば、権威を装った情報に対して無防備になりやすいということでもあります。

一方、口コミによる情報はまったく別の経路で信頼を獲得します。「あの予備校の講師がいい」「この参考書で成績が上がった」――昭和58年当時も、受験生の間でそうした情報は確実に広がっていました。口コミの力は、発信者との距離の近さにあります。権威への信頼が「上から下へ」流れるとすれば、口コミへの信頼は「横から横へ」伝わります。顔の見える誰かが言った言葉は、たとえ根拠が曖昧でも、心に深く刺さります。

情報の信頼性を考えるうえでの鍵があります。そもそも情報の信頼性とは、その情報が真実で、正確かつ安定して信用できる度合いのことです。複数の情報源で内容を確認し、発信元(官公庁、大手メディアなど)が明確かを見極めることで評価され、情報の改ざんや誤解を防ぐために重要です。

権威ある情報は、その権威が本物かどうかを確かめる必要があります。口コミは、その発信者の動機や文脈を読み解く必要があります。どちらも、受け取る側の批判的な目がなければ、容易に誤った判断へと導かれます。

現代はSNSによって口コミが爆発的に拡散し、AIによって権威ある情報を装った偽情報が精巧に生成される時代です。耳から入る情報が、深夜のラジオのように「直接、頭の中へ落ちてくる」からこそ、私たちはその受け取り方をより慎重に問い直す必要があると思います。