叡智の三猿

〜森羅万象を「情報セキュリティ」で語る

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時を超える暗号 ― 江戸のカエサル暗号と現代の量子暗号

過去と未来の暗号と恋を絡めた物語です


江戸のふたり

桜が舞い散る春の夕暮れ、若き武士・慎之介は農民のお花と運命的な出会いを果たした。彼女の清楚な微笑みに心を奪われた慎之介は、身分違いの恋であることを承知しながらも、想いを抑えることができなかった。

江戸時代は士農工商という 身分制度があった。

武士の身、かつ嫡男である慎之介にとって、貧しい農民の娘との恋は許されざるものだった。

神社の境内、二人はたまたま居合わせた風情を漂わせ、慎之介はアイデアをお花に伝えた。

「南蛮のむかし、カエサルという軍人がいたらしい。そいつは、暗号というものを思いつき、仲間に伝達する言葉を敵に悟られないようにしたんだ。」

そういって、慎之介は紙に書いた簡単な文字をお花に渡した。

  • あ→え
  • い→お

「このような感じで、実際の言葉をうしろに三文字ずらすんだ。こうすると掟を知らない人は、何を書いているかが分からないだろ。」

そういって、慎之介は別な紙を渡した。そこにはこう書いていた。

  • まなけずふえしやなすむしおでおび

「これは、なんて書いているか読めるかい?」

幸いにもお花は、寺子屋で簡単な読み書きの教育を受けていた。言葉を学ぶ楽しさを覚えたお花は、貸本屋で小説なども借りて読むほどの学習意欲の高い町娘だった。

お花は慎之介から渡された文字を三文字ずつ前に戻した。

「ふ・つ・か・ご・の・あ・け・む・つ・こ・の・け・い・だ・い・で・・・あ!分かった。 ”二日後の明け六つこの境内で” だね!」

慎之介は笑いながら、「さすが、お花は頭がいいな~」と、彼女の髪をさすった。

そこから、二人だけの秘密の言葉は、「禁断の恋」をより一層甘美なものにしたことは言うまでもない。

しかし、そんな恋の炎は、いつまでも隠し通せるものではなかった。偶然にしては余りにも頻繁に出会うふたりを目撃した、岡っ引き・権蔵は「怪しい」と思った。そして、つむじ風に飛ばされた暗号文の書かれた紙が、ひらひらと権蔵の前に落ちた。

  • やごべてしびえたえおてお

「何じゃ?これは??」

権蔵は暗号の意味が分からず、一昼夜、意味を理解しようとした。そしてついに解読に成功した。

「むぎばたけであすあいたい(麦畑で明日会いたい)」

岡っ引きからの報告で、身分違いの恋が露見したお花は、悲しくも島流しの刑に処されることになった。

船に乗せられ、荒波に揺られながら遠ざかる江戸の町を見つめるお花。

慎之介との思い出が走馬灯のように蘇る中、意識が薄れていく...

現代のふたり

「うーん」

東京で「新規就農支援」の仕事をしている花音(かのん)は、オフィスのデスクで目を覚ました。夢の中の江戸時代があまりにもリアルで、しばらく現実に戻れずにいた。

ブラインドの向こうから、日光が差し込む。時間は13時15分、キッチンカーの弁当でランチを済ませ、ウトウトしているうちにちょっと昼休みをオーバーしてしまったようだ。

「今夜デートでしょ?大丈夫~?」

同僚の美咲が笑いながら声をかけた。そうだった、今夜は恋人の慎也とディナーを約束していたんだった。

慎也は国立大学の工学部の助手として、量子コンピュータと暗号技術の研究をしている。花音は慎也の知性と、優しさに惹かれていた。

夕方、オーガニック野菜をウリとしているレストランで、ふたりは会った。

慎也は研究成果を語った。

「量子もつれを利用した暗号通信が実用化されれば、絶対に解読不可能な通信が可能になるんだ。まさに究極の暗号だよ」

慎也は「量子もつれ」について、雄弁に語った。

「自分たちが生きてる空間での物体は、それぞれが独立してるでしょ!?たとえば、ペアでリンゴがあって、片方のりんごが割れても、もうひとつのりんごが自動的に割れないでしょ。でも、 ”量子のもつれ” は、一つの粒子が他の粒子と状態を共有し、それによって相互に影響を受け合うことが起こるんだよ。だから、片方の粒子を観測すれば、もう片方の粒子の動きが確定するんだ。これは、小さな量子の世界でおきる現象なんだよ」

そういって、慎也はタッチペンを手にとり、タブレットに「量子もつれ」のイメージを描いた。

量子のもつれ

「この状態を使った暗号は、相手に暗号通信が解読されたら、”量子もつれ” の状態が崩れるので、通信の双方がそれを検知することができるんだよ。」

花音は慎也の話を聞きながら、昼間、夢の中のカエサル暗号を思い出しながら微笑んだ。

「なら、片方の量子がわたしなら、もう片方が慎也だね。」

  • 参考:江戸エッセイ・江戸の恋(上ノ山明彦著)