若いころ、会社組織のコミュニケーションをもっとオープンにするべく、社内グループウエアを導入する推進役を任されたことがあります。
その会社は伝統的な大企業です。社会的なブランドイメージもいいのですが、中身は非常に古風な会社でした。
個々の社員は能力よりも学歴を重視される傾向が強かったように思います。
社員は上司からの指示を待つばかりで、組織は硬直化してました。
社員数は多いのですが、その割に売上が大きくなく、労働生産性も低いのは、伝統にあぐらをかいていた組織文化にあると見られてました。
その状況を打破するため、グループウエアの活用が期待されたのです。
会社は、Microsoft Exchange Server を事業拠点に配備しました。各拠点のメールメッセージをサーバを通じて配信する仕組みを構築しました。
ただ、すんなり導入できた訳ではありません。各拠点に配置された40台あまりのサーバがメッセージデータの連携をするのですが、たびたびいくつかのサーバのキューにメールが蓄積され、配信が遅れることがありました。朝に送信したメールが翌日になって、ようやく相手が受信するという飛脚のような状況もありました。
わたしは、電送状況を監視しながら、ボトルネックとなるMTA(メール転送エージェント)を見つけて、別ルートへの迂回を設計・構築しました。
メールアドレスは2万人の全社員に配布しました。各社員が組織の壁を越えた情報のやり取りを推進することで、もっと風通しのよい企業文化が出来ればいいなと願ってました。
ただ、そこに待ったをかけた、組織の幹部がいました。
幹部はこう発言したのです。
メールを使うのはいいが、少なくとも部下が出すメールは、上司が内容をチェックしたうえで発信するべきだ。
わたしは幹部の発言にびっくりしました。
そもそもグループウエアを導入する目的は、組織のコミュニケーションをもっとオープンすることです。
上司がチェックするというのは、要は「検閲」のことです。
そんなことをしたら、目的が達成できなくなるのは、子どもでも理解できるだろうと思いました。
おそらく、幹部は部下のメールを事前にチェックすることで、不正な内容や、不適切な表現を防ぐことができ、そのことで、組織の信用を守ることができると考えたのでしょう。
また、幹部についていうなら、その人はパソコンの活用そのものが不得手でした。そのことを本人も分かっているはずなので、メールが浸透されると、自分の立ち位置に不安を覚えたのかもしれません。
しかし、メールをチェックをすることで、業務は非効率になります。部下は組織から信頼されてないと感じるでしょう。そんなストレスフルな組織でどうして、オープンなコミュニケーションが出来るのでしょうか?
であれば、グループウエアの導入そのものを見送るべきでしょう。
小さい頃は 神さまがいて
不思議に夢を かなえてくれた
やさしい気持ちで 目覚めた朝は
おとなになっても 奇跡はおこるよ
カーテンを開いて
静かな木漏れ日の
やさしさに包まれたなら きっと
目にうつる全てのことは メッセージ
~「やさしさに包まれたなら(松任谷由実)1974年」
子どもの感覚は大人になると、ほとんどが失われます。でもそのことで、誤った判断につながることがあると思います。
大人は自らの経験や固定観念に基づいて行動します。その経験や観念が意思決定に影響することで、単純な事実を見落としてしまう可能性があります。経験や固定観念からくる「このやり方が正しい」という思い込みから、間違った選択をし続けることがあります。
いま、多数の会社がコンプライアンス上の問題を抱えてます。コンプライアンスと聞くと、言葉が難しいのですが、要は「倫理に反すること」はやってはいけないということです。マネジメント層が、子どもようなシンプルな思考が出来ていれば、コンプライアンスの問題を抱えることもないと思うのです。
子どもはよく「なぜ?」「どうして?」と、大人に聞いてきます。子どもの持つ「知的好奇心」です。子どもの「なぜ?」に、大人が真摯に向き合うことで、内面から湧き出る豊かな創造性を育み、子どもは成長します。
そんな子どもの問いただす姿勢は、大人になってもある程度は、持ち続けた方がいいと思います。固定観念に縛られず、澄んだ瞳で世界をとらえればいいのになと、思います。