叡智の三猿

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ドナルド・マクドナルドはどこに行った?

はじめて、マクドナルドに行ったのは1973年です。

当時「味なことやるマクドナルド」というキャチコピーを使ったCMが流れました。マスコットキャラクターのドナルド・マクドナルドが店舗にたち、子どもがドナルドを取り囲む映像でした。

小学校低学年のわたしは、ピエロの雰囲気を漂わせる、ドナルド・マクドナルドに胸を躍らせました。

「マクドナルドに行きたい!」と、両親に訴えました。

そのとき、祖師谷大蔵の駅前にマクドナルドが開店しました。そこに叔母が住んでいたので、遊びの帰りにマクドナルドに連れて行ってもらいました。

ただ、マクドナルドに行ってもドナルド・マクドナルドには会えませんでした。わたしの頭のなかでは、マクドナルドの店長さんはドナルド・マクドナルドだと勝手に想像していました。

それが、ちょっとがっかりした記憶です。

マクドナルドはあの頃からいまに至るまで、わたしの日常の食卓です。お腹にマクドナルドの商品をどれだけ入れたか想像できません。

むかしのマクドナルドといまのマクドナルドを比べると、大きな違いがあります。

ドナルド・マクドナルドはどこに行った?

マクドナルドに於けるドナルド・マクドナルドは、東京ディズニーランドのミッキーマウスです。東京ディズニーランドのメインエントランスに行くと、燕尾服を着たミッキーマウスに会えます。わたしたちが東京ディズニーランドに行く大きな目的は、ミッキーに会いたいからです。

それと同じように、マクドナルドには常にドナルド・マクドナルドのイメージが脳に焼き付いています。入口にはドナルドの看板が掲げられていました。

しかし、いまのマクドナルドでドナルドを見つけるのは、すごく難しくなりました。

唯一、ドナルドを感じるのは、商品に小さく描かれたマークのみです。

マクドナルドの公式ホームページを見ても、ドナルド・マクドナルドは登場していないように見えます。

むかしのマクドナルドは、ドナルド・マクドナルドに会いたい子どもを大人が連れていく図式でした。

いまは違うのでしょう。

マクドナルドはスタバのようなカフェにイメージが近く、大人が安価に時間をつぶし、ときにはノマドワーカーのスポットになります。

わたしたちがマクドナルドを利用するシーンが変わり、そこにはピエロのいでたちをしたドナルド・マクドナルドは不要になったのかもしれません。

ただ、マクドナルドはドナルド・マクドナルドを消し去ったわけではないようです。

息子が小学生のとき、学童野球チームに所属していました。

マクドナルドは「小学生の甲子園」とも称される「高円宮賜杯 全日本学童軟式野球大会 マクドナルド・トーナメント」をサポートしています。その開会式にはドナルド・マクドナルドが選手と一緒に行進し、キャッチボールして遊んだり、各チームと記念撮影をしているのを見ました。


ドナルド・マクドナルドで印象に残っている出来事は、2015年に起きた大量閉店です。当時、異物混入などの影響でマクドナルドの売上高は激減しました。150店舗あまりが相次いで閉店しました。その閉店を知らせるポスターには、ドナルド・マクドナルドが後ろ向きにポーズをとりながら、手を振っている様子が描かれ、なんだか切なかったのです。

もしかしたら、ドナルド・マクドナルドは、あのときマクドナルドの支配から解放され、自立したキャラクターとして新たな道を歩んだのかもしれません。

そう考えると、ドナルド・マクドナルドにエールをおくりたくなります。

自然災害、パンデミック、戦争、カルトによる政治への参画、サイバーテロ・・・。

いまは、あらゆるものを取り巻く環境が複雑さを増し、将来の予測が困難な状態です。これを「VUCA(ブーカ)時代」と呼ぶそうです。この言葉は以下の頭文字をとったものです。

  • V(Volatility:変動性)
  • U(Uncertainty:不確実性)
  • C(Complexity:複雑性)
  • A(Ambiguity:曖昧性)

いままでの常識は、いまの常識ではありません。あらゆることのリスクが大きく、政治家も学者も経営者も課題に対する明確な解決策を提示できてないです。

こんな不確実な時代に対応できる自立性こそが求めらる素養なのでしょう。それは、うえからの指示を待つのではなく、自らの意思で考え能動的に行動できる人材なのでしょう。

列並ぶ マクドナルドや 初仕事(スロトレ)