叡智の三猿

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LPからCDへ、そして時代は再びLPへ

4月に東京ガーデンシアターにて、ボブ・ディランのライブを観に行きました。

www.three-wise-monkeys.com

それからもディランは、世界各地で毎日のように歌ってます。

現在のディランのライブは、「Rough and Rowdy Ways」という2020年に販売したアルバムのタイトルをつけてます。下記をみると、一連のライブは 2021年-2024年 と明記されているので、来年もディランは世界各地で歌いつづけるんだと思います。また、来日して欲しい。

東京ガーデンシアターに行ったとき、会場ではディランのグッズが売られていました。観客のほとんどがグッズを求めてました。

グッズのなかには、Rough and Rowdy Ways の CD と LP があったのですが、LP の方が人気があったように見えました。

下記は日本レコード協会の公開資料を元に最近、10年のCD(アルバム)とLPの生産推移をグラフ化してみたものです。CDとLPではそもそもの生産数量にかい離があるので、生産の変化を見やすくするために、CDとLPで軸を分けています。

CDとLPの生産推移

この推移から、CDの生産枚数はひたすら、下降をつづけているのに対して、LPの生産枚数が伸びていることです。

いま、LPは一種の嗜好品です。CDよりも価格が高めに設定されています。そのなかでこのような生産の推移を示していることは、LP市場に対する需要は、かなり高いと思います。

CDの生産がLPの生産をうわまったのは、1987年でした。以降、CDとLPの生産数量はかい離を大きくしていくのですが、いま起きているかい離の縮まりは、新たな時代への予感もします。

ディランは「時代は変わる」と言います。もしからしたら、時代は「変わる」というより、中島みゆきが言うように「まわるまわるよ時代は回る」のかもしれません。

1980年代の後半、わたしはLPからCDへの変化に飛びつき、いち早く、CDプレイヤーを買い、LPよりもCDを優先して購入しました。

CDは何度聴いても、LPのように擦り切れることがなく、興味ない曲は簡単に飛ばせるし、A面からB面への裏返しもありません。そして、なによりも省スペースです。

CDの便利さを喜びました。LPが復権し、レコードプレイヤーが必要とされる時代がまた来るなんて、思ってませんでした。

ただ、音楽市場が LPからCD に変化するなか、違和感を感じたディランのアルバムがあったのを思い出しました。

それは「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」という1965年のアルバムです。

ボブ・ディラン/ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム (完全生産限定盤/日本独自企画/)[SIJP-1053]【発売日】2022/5/25【レコード】

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このアルバムは名曲「ミスター・タンブリン・マン」が収められていることで有名ですが、ディランの音楽史的には、フォークからフォークロックへと変貌する転換点として位置づけられています。

このアルバムのA面は、2分から3分の短めのロック調の曲が収録されてます。そしてB面は、5分を超える長めのフォークが収録されてます。

その為、A面が7曲、B面が4曲といういびつな曲の構成になってます。

60年代のはじめに「風に吹かれて」や「時代は変わる」といったフォークの名曲を生んだディランですが、後からきたビートルズやストーンズによって、世界はロックを求めました。

基本、フォークの愛好家はロックを騒音と捉える傾向があります。そういう人にとって、ディランは心のよりどころだったと思います。

ディランは「時代は変わる」と歌い、時代の先駆者のようにふるまいながらも、実態はフォークという古い音楽を歌う保守的なミュージシャンになりかねない状況だったと思います。

そんななか、リリースされたのが、フォークとロックを交えた「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」です。

過ぎ去った当時の時代背景を想像しながら、このアルバムをLPで聴いたとき、わたしはこう考えました。

一般的にアルバムの A面は、シングルカットを想定した曲を収録します。シングル曲はラジオとかのヒットチャートで紹介されることを狙うので、一曲の時間は短めです。

ボブ・ディランがA面に短めのロック調を集めたのは、ミュージシャンとして仕事を継続させるうえでの方向性を示したんだと思いました。

「今後はフォークソングでなく、ロックを歌うから、期待してね!」といった感じです。

一方、B面はミュージシャンの性格を反映するというか・・・曲作りの職人として、自分が作って歌いたい歌を収録することが多いと思います。

ディランがB面に長めのフォークを入れたのは、自分の音楽の本質はフォークであり、曲を通じてこれからも多くの言葉を発信したいという思いが現れていると感じました。

ですので、わたしがこのレコードを聴く際、A面をターンテーブルに載せて、聞く曲は市場に出回る新たなディランの姿であり、レコードをひっくり返して、B面で聴く曲はディランが本当に歌ってみたい内面という感じがしたのです。

この解釈が正しいか否かは分かりません。ただ、一枚のLPは単に複数の曲が集まっているわけでは無く、アルバムを通じた物語を感じました。

しかし、CDでディランの「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」を聴くと、LPで感じた物語は意味をなしません。

何故なら、CDにはA面やB面という概念がなく、曲のシャッフルも容易に出来るからです。CDで聴く「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」は、7曲のロックと4曲のフォークがあるアルバムという事実のみです。

さらにCDが楽曲ダウンロードになり、サブスク化されると、もうアルバムの概念もありません。

アナログなLPを聴く行為は、全体を波として情報を感じるのに対して、CDなどデジタル化された曲を聴く行為は、断片化した情報の収集をしているイメージです。

ディランの音楽を販売しているソニーはハイレゾというCDには入りきらない音の情報量を詰め込んだ、デジタル技術をアピールしてますが、わたしは市場が要求しているのは、むしろアナログではないか!?と思ってます。

音楽に限らずアナログがデジタルになると、情報の収集は各段に効率化されるのですが、情報の解釈は深みがなくなってしまうと思います。

SNSでは相変わらず、薄っぺらい誹謗・中傷が投稿されてます。

事実の裏付けを曖昧にしたまま、感情に任せた投稿を行い、それがいいねと、拡散される社会です。

デジタル化により、情報の取得や発信が効率化されても、一時的な気分ですぐに反応したりせずに、時間を置いて考えるスローな感覚をつけたいなと思います。