「情報を共有する」という行動は、インターネット文化の象徴です。それは、マーケティングの変革をもたらしました。
わたしが学生時代(昭和)に学んだマーケティングの授業は、消費者への購買行動をAIDMA(アイドマ)と呼ばれるモデルで紹介されるところからはじまりました。
「AIDMA」は、消費者の反応の順番を示した英単語の頭文字です。
- Attention:注意
- Interest:関心
- Desire:欲求
- Memory:記憶
- Action:購入
企業はテレビCMをうつことで消費者の注目を集め、製品への関心を高めます。消費者はCMを何度も見るうちに購買欲求を持ち、商品が記憶に残ります。そして、商品を買いにデパートに行くスタイルです。
AIDMAモデルがもっとも効果的にあらわれていたのは、なんといっても、1970年代の後半から、80年代に渡って繰り広げられた、資生堂とカネボウの化粧品CM合戦でしょう。わたしにとっての青春ド真ん中です。
下記のように、資生堂とカネボウは、毎年、いくつものCMをうちました。そこからは多数のヒット曲が生まれました。ヒット曲と人気タレントの相乗効果も相まって、化粧品が消費者にイメージされました。
「聖子の口紅 ぴゅあぴゅあ LIPS ♪ カネボウ バイオ口紅 ♪ 」なんて、口紅をつけないわたしでも、脳裏にいまでも焼き付いてます。
こうして一覧で見ると、資生堂とカネボウではタイアップするアーティストに違いがみえます。
資生堂は、矢沢永吉、竹内まりや、吉田拓郎、松任谷由実と、結構、大御所系が並んでいる印象です。
カネボウは、松田聖子、吉川晃司、小泉今日子、南野陽子と、アイドル路線を多くつかってます。
この違いは、当時の両社のマーケティング上のポジションの違いだと思います。
いまでは、資生堂もカネボウも老舗の化粧品メーカーという認識が一般的ですが、当時は違います。
銀座を発祥の地とする資生堂は紛れもない明治時代からの老舗の化粧品メーカーです。文明開化による西洋的な化粧の歴史は資生堂の歴史そのものです。
資生堂は化粧品業界の絶対的な王者として全方位的な戦略を敷きます。広告には流行の最先端をいくニューミュージック系のアーティストを起用するのは、業界のリーディングカンパニーとしてのプライドを感じます。
一方、カネボウの化粧品参入は1960年代です。
元々、カネボウは紡績産業の大企業です。国内に点在する工場は鐘紡町という名前が付けられ、そこには紡績工場のほかに職工さんの住まいや学校もありました。
しかし、紡績産業が斜陽化し、赤字を補填するため、財閥解体前は同じ会社だったカネカから化粧品事業を買い取ってスタートしました。
ですので、カネボウは絶対的王者にいる資生堂から、豊富な経営資源を駆使して資生堂のシェアを奪うことが命題でした。
カネボウがアイドルをCMに起用したのは、より大衆にブランドを訴求する目的があったと思います。
下図はマーケティングの教科書でよく使われるポジションマップです。ポジションマップは、経営資源の量的な大きさ(=資金力)と、質的な豊かさ(=独自性)を軸として、大と小に分けて、ブランドを分類します。
このマップに於いて、資生堂はリーダーであり、カネボウはチャレンジャーです。

90年代になると、AIDMAは徐々に時代遅れのマーケティングとなっていきます。
これは80年代後半からのバブル経済の影響が大きいと思います。
バブルが日本にもたらしたのは、高級ブランド品や、豪華なリゾートホテルといった、物質的な繁栄だけではありません。
バブルを通じ、わたし達は精神的な豊かさをより重視するようになりました。
消費者の間で「みんなと同じではなく、ひとりひとりが個性的であること」が、精神的な豊さにつながると考えられるようになりました。
テレビCMは典型的なマス・マーケティングの手法です。消費者の求めていることは、テレビCMでは満たされなくなってきたんだと思います。
俗にいう「IT革命」は、2000年です。
マス・マーケティングから、ターゲット・マーケティング、One to Oneマーケティング へとトレンドは変わります。
90年代は、新たななる消費者の購買行動を模索している時期だったと思います。
世間では、90年代を「失われた10年」と、評されますが、実際は失われているのではなく、変革を模索していた10年だと思います。