叡智の三猿

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英語学習しなければグローバルでは働けない!?

日本の大学入試に向けたカリキュラムでは、高校2年あたりから、生徒を文系と理系にわけ、文系は英語・国語・社会を重点的に勉強し、理系は英語・数学・理科を重点的に勉強します。

生徒を文系と理系に分ける発想自体、古めかしいとは思いますが、受験生にとって文理の選択は大学入試、ひいては将来の職業の方向性までを決める重要なタイミングです。

ところで、文系を選択しようと理系を選択しようと、英語は必須科目とされています(帰国子女で他の外国語を選択する人もいますが)。

英語が必須なのは、世界共通語とされているからです。ビジネスがグローバル化しているので、異なる言語を話す人が集まる会社間で取引を行うための共通語が必要です。そこで長期間にわたって世界の政治・経済・文化などの中心となっている先進国で話す人が多い英語が世界共通語の地位を得ています。

ただ、これは不公平です。

英語が世界共通語になっていることで、英語を母国語とする国は、他の国の言語を学習する必要がなくなります。逆に英語が母国語でない国は、二番目の言語として英語を学習しなくてはなりません。

英語が母国語じゃないのに英語の読み書きができなければ、国際社会で認められない環境はあまりいいとは思えません。

世界共通語として、エスペラント語の普及に熱心に取り組んできた、有名な明治の文豪「二葉亭四迷」はこんな随筆を書いてます。

現在の各国に国語中一番弘く行はれている英語とか仏語とかを採って国際語にしたらといふ説も出たが、これも弊が多くて困る、なるほど英語が国際語になつたら英人には都合が好からうがそれでは他の国民が迷惑する。仏語でも独逸語でも其通り、夫に各国人皆それぞれに自尊心といふものが有るから、よその国の言葉が国際語になっては承知せん、何でも自分の国の言葉を採用しろと主張する、とても相談のまとまる見込はない
~エスペラントの話(明治三十九年・二葉亭四迷)

エスペラント語は、基本となる文法がありますが、どこの国の言葉でもありません。各国がエスペラント語による同じ文法と同じ言葉を使いながら、方言のように国の差異が出ることを期待してました。二葉亭四迷は随筆で、あと50年もしたら、エスペラント語が各国の小学校の必須科目になるかもしれないと書いてます。

エスペラント語の普及は、公平で理にかなっています。誰もが Win-Win になる理想的なグローバルなコミニュケーションに対する取り組みだと思います。しかし、現実のエスペラント語は、小学校の必須科目どころか、マニアな人が趣味として取得する言語に留まっています。

結局のところ、人間活動のすべてがそうであるように、言語も Win-Lose の関係です。ビジネスの活用場面をみたとき、英語とそれ以外の言語では、使用に対する質的にも量的にも雲泥の差があります。

そして、英語を母国語とする会社が当然ですが、世界を制覇します。GAFA はその典型です。ときどき、日本で GAFA のような巨大企業が生まれないのは、「日本人はリスクを恐れて、チャレンジしない人が多いから」というような指摘を見ます。ただ、わたしはシンプルに「日本の母国語は、英語でなく日本語だから」だと思います。もし、日本語が世界共通語だったら、世界を制覇する日本企業は何社も出ると思います。

世界には、約7000言語が存在しているといわれるなかで、英語が圧倒する時代に終わりは来るのでしょうか!?

中国語は世界で話す人がいちばん多い言語なので、中国語が台頭することは容易に想像つきます。実際、中国では BATH というくくりで称される巨大企業群があります。

ただ、英語が他の言語を圧倒する地位が、中国語の台頭によって変わることは無いと思います。仮にあったとしても、それは世界共通語が英語から中国語に変わるだけです。不公平な状況に変わりありません。

英語の地位が揺らぐとしたら、それは別な国の言葉ではなく、AI だと思います。

対話型のAI「ChatGPT」が発信する言葉は、内容の正当性に疑問というか、明らかなミスを見つけることはたびたびあります。ただ、それを「ChatGPT」の欠点だとは思いません。たとえ、内容がデタラメでも、流ちょうな表現によって、頭にスンナリ言葉が入っていくことがポイントだと思います。わたしは、日本語で「ChatGPT」を使っていますが、「ChatGPT」とやりとりをしていると、このアプリが日本で開発されたんじゃないか!?と錯覚を持つほど、自然な日本語表現にいつも驚きます。

異なる言語を話す人間と人間の間に AI が介在することで、わたしたちは、言語の壁を意識することなく、グローバルなコミニュケーション ができる可能性を実感します。

エスペラント語の普及を目指した二葉亭四迷は「各国民の自尊心」という表現を使い、特定の言語(英語)を世界共通語にすることに否定的な見解を示しました。

「自尊心」はわたし達が行動する為の強力なエネルギー現です。英語を話さない国民でも、自らの母国語を使ってグローバルなビジネスが展開できれば、自分に自信を持つでしょう。そういう自己肯定感が、物事をポジティブに捉えていきます。

世界にある 約7000言語 のどの言語を使う国民も、、たとえ少数しか使わない絶滅危惧的な言語を使う国民も、同じ土俵にたってコミニュケーション ができれば夢のようです。

逆にその夢は、英語が世界共通語であることで、メリットを享受しつづけてきた、人々にとっての脅威にうつるかもしれません。