叡智の三猿

〜森羅万象を情報セキュリティで捉える

コンピュータ化されたみらいの人間像

わたしはずっとIT業界で仕事をしているのですが、この仕事が社会のために役立っているのか疑問を感じることがあります。

ITの仕事は、とどのつまり、人間が行っている仕事をコンピュータに置き換えることです。コンピュータ化されることで、確かに仕事は楽になるメリットはあります。反面、コンピュータに置き換わることで、人間から仕事を消そうとしています。

子どもの頃(昭和40年代)、なんかの科学雑誌で「みらいの人間」のイラストを見た記憶があります。

そのイラストの説明には、コンピュータ化による高度文明社会では、人間は手足を使う必要が無くなったことで、それらの機能は退化すると書かれていました。一方、人間はより知的な生命体として頭はいまよりも進化して大きくなると書かれていました(下図のイメージ)。

みらいの人間像!?

昭和40年代において、すでにコンピュータは存在していますが、いまのような、一人一台とか、一家に一台ある身近なモノではありません。コンピュータは「なんでもできる箱」のイメージがありますが、当時のコンピュータでできることは限られていました。ですので、昭和の預言者!?が描く、コンピュータ化されたみらいの社会は空想でしかなかったはずです。もちろん、コンピュータ化された高度文明社会によって、人間がどう進化するかも完全な空想です。

ただ、わたしは「みらいの人間像」のイラストをみたとき、ちょっと怖い感じがしました。滑稽さのなかに、妙なリアリティを感じました。イラストから、みらいの人間をポジティブなモノと感じることができませんでした。コンピュータが社会に浸透することで、人間が人間らしく生きることが許されず、コンピュータに支配される脅威を感じました。

33万人もの社員を抱えるNTTグループで、驚きのニュースがありました。7月から社員の勤務は自宅でのテレワークとし、居住地の制限をなくす制度を導入し、出社は「出張扱い」になったのです。日本で一番大きな会社が原則テレワークになったのですから、その波及効果は大きいと思います。NTTは電気通信事業者ですので、通信によるコミニュケーションを促進するのは、社会的な使命です。その意味で理にかなった方針でもあります。
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テレワーク勤務が当たり前になることで、一日中、何をしていいかが分からない社員は相当数いるでしょう。なかでも会社の中間管理職と呼ばれる人たちは、暇な人が多いと思います。出社していれば、緊急性のない会議を開催し、管理職としての意見を述べたり、経営陣のいる部屋に行っては、彼らの思惑を伺ったり、近くにいる部下を呼び出しては愚痴を聞いたり、報告を求めたりしたら一日はあっという間に過ぎます。それで、仕事をしている気分になります。しかし、テレワークになると緊急性、計画性のないコミニュケーションは、最大限カットされます。顔の見えない部下に「ご機嫌如何?」と、チャットで聞くのはやりづらいですね。

学者の間では、AI(人工知能)が進むと、単純労働が無くなるという見解が大半です。でも、真っ先に無くなるのは、単純労働ではないが、知的労働までには至らない、中間管理職のような中途半端な仕事だと思います。

テレワークが推進されたことで、単純労働はかえって煩雑さが増し、生産性は落ちています。

たとえば「データ入力」は典型的な単純労働のひとつです。会社に顔を出して画面の大きなデスクトップパソコンで入力作業をするのと、自宅に持ち帰ったノートパソコンで作業するのでは、仕事のしやすさが全然違います。自宅では社内ネットワークに入るため、ノートパソコンをVPNに接続する手間があります。それにより、回線速度も落ちます。社内ネットワークにあるフォルダから、1万件以上のデータが登録されたExcelを開こうとすると、ファイルを開くまでに相当な時間待たされるはずです。更に大勢の社員がいるなかで、黙々と作業をするのと、机のすぐそばにベッドやテレビが置かれた状態で作業するのでは、モチベーションが違います。

もちろん、単純労働はAIの進化により無くなる方向であることは間違いありません。

2004年にエリック・ストルターマンという情報工学の教授は、DX(デジタル・トランスフォーメーション)という言葉を定義しました。そこでは「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面で良い方向に変化させる」としています。

教授が語るように、あらゆることがコンピュータ化された未来の人間は幸せになるのか、予想に反してある種の絶望を感じるのか。

その答えは出ていません。