叡智の三猿

〜森羅万象を情報セキュリティで捉える

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SF小説が描くディストピア

子どものころ、SF 小説を読むのが好きでした。

SF といっても幅が広いのですが、わたしが特に惹かれたのは、未来ではありうるかもしれない思わせる技術を題材とした物語です。

もちろん、日本のSF 発展に貢献した御三家とされる 星新一、小松左京、筒井康隆は、好きな作家でした。

文系と理系の比率は一般的に7:3と言われています。幼いとき、SF 御三家の作品を読んで 理系少年 を目指した人は多いのではないでしょうか!?

SF 作品には、コンピュータが度々登場します。

そして、ほとんどのSF 作品で描かれるコンピュータ化された未来は、夢のようなユートピアでなく、どちらかというと、機械文明に管理されたディストピアです。

科学技術は進歩しても、それが人類の幸せにつながらないと、多くの人が本能的に感じているのかもしれません。

確かに昭和と比べ令和は、ずっと便利です。ただ、それに伴う幸福感はあまりない気がします。未来はさらにその延長線上です。未来がユートピアになるとは、思えない気がします。

大人になると、SF を読んでも幼いときのようなワクワクした感覚にならないのは、ユートピアよりディストピアに現実味を感じるからかもしれません。

最近読んだ、SF で面白かったのが、「know」という 野崎 まど さんの作品です。

know (ハヤカワ文庫) [ 野崎まど ]

価格:792円
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感想(3件)


【内容(Amazonの商品紹介)】
超情報化対策として、人造の脳葉〈電子葉〉の移植が義務化された2081年の日本・京都。
情報庁で働く官僚の御野・連レルは、情報素子のコードのなかに恩師であり現在は行方不明の研究者、道終・常イチが残した暗号を発見する。
その“啓示"に誘われた先で待っていたのは、ひとりの少女だった。
道終の真意もわからぬまま、御野は「すべてを知る」ため彼女と行動をともにする。
それは、世界が変わる4日間の始まりだった――

この小説の根幹は「情報は自由であるべき」という価値観です。

「あらゆる情報が、軽重なく、貴賤なく、分け隔てなく、どこにでも流れられる状態が必要なんだ。そうすれば活動状態は自然に脳と同じになる。なぜなら人の脳は自由だからだ」(小説より引用)

ITに携わっているビジネスマンの目的は、情報の自由化を実現することです。いまのトレンドである DX(デジタルトランスフォーメーション)とは、情報をどこかで滞らせることなく、ITによって必要なところに流していくことで、生活や仕事を便利にしようとする概念です。

一方で情報セキュリティ的な見方をすると、情報の自由化は「情報の機密性を維持する」ことを困難にすると考えます。情報の自由化で、企業の秘密情報や、個人のプライバシーに関わる部分をも不特定多数に拡散される懸念があります。

それは生きていくうえで脅威を感じます。

会社や個人を守るには、情報には一定の規制が必要です。「情報は自由であるべき」と訴えるこの小説で、自由と規制のバランスをどう描くかに興味を持ちました。

詳しい内容は本を読んで頂きたいので、あえて書かないのですが、情報の自由化を進めることは、情報の規制を破ることと同じにはならず、むしろ、規制が強化する方向に進んでいくという視点が非常に面白く、一気読みしました。

経営の四大資源として「人・物・金・情報」といいます。経営資源は経営する能力に必要な財産のことです。だから、四大経営資源はお金に換えられる価値があると読めます。

では、情報が完全に自由化された状態とは何かというと、情報が空気のようになることだと考えます。人が空気を吸うかの如く、情報を特別な努力をしなくても得ることが出来ることが、情報が自由化された状態だと思います。

しかし、本当に情報が空気のようになってしまうと、空気がそうであるように情報そのものには、価値がなくなります。情報に価値がなければ、情報を持つことによる他社や他者との差別化は出来なくなります。

  • 情報を持つ企業は持たない企業よりも優位にたつべきか。
  • 情報を持つ人間は持たない人間よりも優位にたつべきか。

情報に価値を求める社会がいいのか、それとも情報は誰でも容易に手が入る社会がいいのか・・・。