仕事をIT化することで、効率化されますが、果たして仕事の目的が成就するのか疑問に思うことがあります。
その例として職場のほうれんそう(報連相)を挙げます。
説明するまでもなく、ほうれんそうは「報告・連絡・相談」の頭文字をとった用語です。仕事に於いてもっとも重要なコミニュケーションを円滑にする手段です。
報告
仕事の進捗状況や成果を上司や先輩に伝えること。
連絡
仕事に関係する情報を関係者に伝えること。
相談
仕事で疑問や問題が発生したときに、上司や先輩にアドバイスを求めること。
わたしが新入社員だった30年ちょっと前の1990年、社員研修でほうれんそうの重要性を教わりました。いまでも多くの企業がほうれんそうを職場研修に取り入れています。わたしは”ほうれんそう”に興味を持ち、ほうれんそうの産みの親である、山種証券社長だった山崎富治さんの著書「ほうれんそうが会社を強くする 報告・連絡・相談の経営学」を読みました。
1990年といまを比較すると、ITのコミュニケーションツールは大きく進歩しています。
1990年の職場は机の前にある固定電話だけが、コミュニケーションツールでした。ひとり一台のパソコン、電子メール、グループウエア、携帯電話、スマホ、チャット、オンライン会議・・・いまでは当たり前に使っているコミュニケーションツールが職場に普及したのはもっと後です。
むかしの職場のイメージが分からないという方は、是非「私をスキーに連れてって(馬場康夫監督)」を見てください。この映画はバブルの真っただ中に公開され、空前のスキーブームを起こした作品ですが、当時の職場風景をよく切り取っている作品でもあります。
この時代は、ほうれんそうもひと苦労でした。ほうれんそうをしたくても、出来ないいろいろな制約があったのです。
時間の制約
ほうれんそうをしようと思っても、相手が外出や出張をしていたら戻ってくるまで出来ません。
距離の制約
ほうれんそうをする相手が別なフロアだったり、別なビルだったりすると電話でアポを取る必要があります。
場所の制約
ほうれんそうをするには会議室やミーティングスペースを予約する必要がありますが、そういう場所は限られています。
あのころ、レポート用紙で報告書を作っていました。ボールペンによる手書きです。文字を間違えた場合は二重線を引き、そこに小さめの訂正印を押しました。複数の人に報告をする場合は報告書に回覧表を添えました。報告する際は、あらかじめ電話で相手に連絡しました。そして、手渡しかメール便で送りました。ビル内にはエアシュータという手段もありました。これは筒状のカプセルに書類を入れて、相手のいる場所まで続いた管にカプセルを投入したら、空気の流れでカプセルを運送するコンベヤです。いま思えばかなり斬新な配送システムです。報告に対する上司や先輩からコメントは、報告書の最後に手書きで記載されたものにハンコが押されたかたちで受け取りました。
いまはOffice365で報告書を作ったらslackで関係者に通知するだけです。そしたらスレッドで関係者からのコメントが通知されます。
ずいぶん簡単になりました。
しかし、ほうれんそうは仕事を円滑にする為の手段であって目的ではありません。仕事の失敗はコミュニケーションの欠如によって起きることがほとんどです。職場のほうれんそうをITの力で効率化したことで、コミニュケーションの欠如は果たして減ったのでしょうか!?
おそらく多くの方はそうは思わないはずです。
むかしもいまもコミュニケーションの欠如は変わらず存在します。それが原因で仕事が思うように進まず、悩んでいる方も多いと思います。だからいまでも多くの企業がほうれんそうを職場研修に取り入れているのです。
仕事をIT化することで「効率化」という良薬をわたし達は得ることができますが、同時に失ってしまうものもあるようです。だから、仕事をIT化しても、仕事の目的は成就しないのだと思います。
IT化で何を失ってしまうのでしょうか!?
そのヒントは職場のほうれんそうの産みの親である、山崎富治さんの著書「ほうれんそうが会社を強くする 報告・連絡・相談の経営学」にある以下の文言だと思います。
足をつかわなければ、ほうれそうの芽も生き生きとしてこないばかりでなく、いくらでも転がっているチャンスもつかめない。
~「ほうれんそうが会社を強くする 報告・連絡・相談の経営学(山崎富治)」より
ほうれんそうを育てるには、足を使って集めた情報をこまめに足を使って上司に報告をし、相談することが大切です。そしてチャンスは机に座ってパソコンを眺めているだけではつかめません。仕事をする人と人との意見が通い、お互いの気持ちが通じなくては成功する職場にはならないと思うのです。