作家の森村誠一さんが24日にお亡くなりになった記事を読んで、久しぶりに森村さんの作品を読んでみようと思いました。
若いとき、森村誠一の本をむさぼり読んだ思い出があります。いままで、わたしが読んだ本の数でいけば、いちばん多い作家かもしれません。
森村誠一というと、執筆のジャンルが広く、ドキュメンタリー、歴史小説、ファンタジー、近年では写真俳句の本も執筆されてました。でも、何と言っても「社会派ミステリー」の印象が強烈です。
その意味で、松本清張に作風が近い作家です。森村誠一の作品は、松本清張作品ほど、登場人物の性格描写が優れていないのですが、作品としてのエンターテイメント性はピカイチです。
いちばん有名な作品は、「人間の証明」か「悪魔の飽食」だと思います。ただ、今回、改めて読んでみようと思ったのは、初期(1969年)のヒット作であり、江戸川乱歩賞を受賞した「高層の死角」です。
森村誠一は、ホテルを題材にした作品が多くあります。これは、ホテルニューオータニなどで長い年月勤務していた経験からでしょう。表向きは華やかに見えるホテルですが、内部のディティールは、そこに勤めていた人でなければ、分からない謎めいたものがあります。
わたしは森村誠一の本を読みながら、ときどきーー
この人はホテルマンの仕事をしながら、密室殺人のトリックを妄想していたのだろうか・・・
と、別な意味でちょっと背筋が震える感覚を覚えてました。
「高層の死角」は、東京オリンピックを挟んだホテル建設ラッシュのなかにある作品です。作家デビューの初期ということもあって、作者の作品への思い入れを特に強く感じる力作です。
作品の内容はネタバレになるのであまり書きません。
この作品の前半は、犯人がどのようにしてホテルの鍵を使って、犯行現場となる部屋に入ることが出来たかを解くことが課題となります。
犯人がホテルの部屋に入るには、当然ながらルームキーが必要です。しかし、合鍵で部屋に入ることが出来るルームメイドキャプテンは鍵(フロアパスキイ)を持ったままです。また、すべての部屋を開けられるグランドマスターキイは、支配人によって厳重に保管されています。
これほどまでに厳密な管理をしているはずの鍵を犯人はどうして入手できたのか!?
謎を解くヒントはホテルの鍵の形状にあります(下図)。いまのホテルはほとんどがカード式の電子ロックだと思うので、時代を感じるルームキイです。
「高層の死角」は、50年以上前のミステリーなので、さすがに古さは否めません。
しかし、密室殺人のトリックや、アリバイ崩しを描く本作は、文芸書でありながらも、理系的な思考回路をふんだんに発揮する必要があります。いま読んでもスリリングな感覚です。
部屋の鍵を厳重に管理することは、防犯上、わが身の安全のため、財産を守るため、重要なことは言うまでもありません。
一方、電脳空間に於いても、サイバーテロから情報を守るため、鍵の取り扱いは非常に重要です。
デジタル情報に於ける鍵は暗号に使われます。
暗号鍵で誰もがイメージしやすいのは、zipによる暗号化です。
仕事でExcelやWordなどの文書ファイルをパスワード付きzipで暗号化し、そのファイルをメールで送り、後から別メールでパスワードを送ることがあると思います。
巷ではこれを PPAP方式 と呼んでます。現代ではあまり推奨されてない鍵の受け渡し方法です・・・。
- Password付きzip暗号化ファイルを送ります
- Passwordを送ります
- Aん号化(暗号化)
- Protocol
暗号化と復号(暗号化されたデータを解読して、元のデータに戻すこと)に使う鍵が同じものを「共通鍵暗号方式」と呼びます。
PPAP方式が生まれたのは、暗号化された文書と、共通鍵を一緒に送ると、中間者攻撃(第三者が送信者と受信者の間に割って入ることで情報を搾取する攻撃)によって、第三者に情報漏えいする可能性があるからです。
共通鍵は秘密鍵です。これは、ホテルの部屋に入るルームキーと同じで、絶対に第三者に渡ってはならない鍵です。
ですので「共通鍵暗号方式」は、送信者と受信者での鍵の受け渡しに労力を使います。
一方、受け渡しに労力を使わない「公開鍵暗号方式」もあります。
公開鍵暗号の暗号文は暗号化に使う公開鍵とペアとなった秘密鍵で復号します。暗号化を行うための公開鍵では、復号が出来ないことから、公開鍵が漏洩しても元のメッセージが解読されることはありません。復号に使う秘密鍵を厳重に管理すれば良いのです。
共通鍵暗号方式はメッセージのやり取りをする相手毎に別々の鍵が必要となります。メッセージのやり取りをする相手が増えるに従い、鍵の管理コストが増します。それに対して、公開鍵暗号方式は、メッセージのやり取りをする相手が増えても公開鍵と秘密鍵の組み合わせが1つあれば管理が出来ます。
ただ、公開鍵暗号方式は、共通鍵暗号方式に比べ、安全に鍵の情報を保持できるメリットがあるものの、処理時間が遅いという問題もあります。
「高層の死角」に限らないのですが、森村誠一の作品を読むと、都会のなかで不自由なく生きる人間の孤独や不安を感じることが多くあります。
現代社会に生きるわたし達は、仕事に於いても日常生活に於いても、自分の身体や財産や情報を守るため、いくつもの鍵を必要としています。
鍵の存在によって、そもそも鍵を持たなかった原始人の社会より、わたし達の安全は、確実に守られているはずです。しかし、ひとたび鍵を失うと、築いてきたはずの安全が一気に崩壊する不安が頭の片隅にいつもあります。
これは、鍵というセキュリティを守る道具がもたらす一種のパラドックスのようです。