新大久保の雑居ビル2階、ポップなネオンが輝く店内(クルバム)には、まるで韓国へ旅に訪れたかのような活気と空気がそのまま流れ込んでいました。大きな水槽の中で塩水を使ってお肉をじっくり熟成させる「ウォーターエイジング」の肉や、目の前の鉄板で店員さんが手際よく切り分け、香ばしく焼き上げてくれるサムギョプサル。その横にたっぷりと添えられた鮮やかな緑の「ミナリ(セリ)」とキムチ。ジューシーなお肉の旨味にミナリの爽やかな風味と力強い歯ごたえが重なるその味わいを堪能しました。

お肉を食べながら、頭に浮かんだのが、映画『ミナリ』です。
映画『ミナリ』が描くのは、韓国からアメリカ・アーカンソー州の田舎町へと移住し、農業での成功を夢見る一家族の切なくも力強い物語です。理想を追う父親、現実を見つめる母親、無邪気な子どもたち、そして韓国から呼び寄せられたおばあちゃん。火事によって丹精込めて育てた畑を失うという絶望的な困難に直面しても、水辺で青々と根を張るミナリのように、家族は泥臭く力強く生きていきます。
映画の中で特に印象的なのは、家族の精神的支柱でありながら、後半にかけて切ない変化を遂げていくおばあちゃんの姿です。しかし、彼女を取り巻く家族や地域の人々との温かい触れ合いが物語に救いを与え、最後には「どんな窮地に陥っても、全員で支え合って生きていく」という普遍的な希望のメッセージを強く残します。もちろん、映画が終わった後の彼らの生活が本当に成り立つのかという現実的な不安は残りますが、ミナリのような雑草魂がある限り、彼らは何度でも立ち上がるだろうと思わせてくれます。

一見すると、この映画の世界観と、現代のIT現場は何の接点もないように思えるかもしれません。しかし、これまでSESエンジニアとして大企業から中堅企業まで数多くのプロジェクトを渡り歩き、多様な企業風土に触れてきたわたしは、「ミナリのような組織の姿」こそが情報セキュリティの要と感じてます。
情報セキュリティというと、最新の高額なセキュリティツールや堅牢なシステム構成ばかりが注目されがちです。しかし、現場で最も重大なリスクを抱えているのは、技術不足ではなく「メンバー間のコミュニケーションが途絶えている組織」です。例えば、宛先を誤って別会社に請求書をメール送付してしまうようなヒューマンエラーが発生したとします。風通しの悪い組織では、「責められるのが怖い」と担当者が問題を抱え込み、報告を躊躇してしまいがちです。本来、報告は「個人のミス」を「組織全体で対応すべき課題」へと素早く引き継ぎ、被害を最小限に食い止めるための最も重要な行為です。それが阻害されれば初動は決定的に遅れます。重大な情報漏洩の放置につながります。不審なアクティビティの報告や緊急時の連携も機能せず、内部脅威の芽を摘むこともできません。いくら高価なツールを導入しても、それを正しく運用し、異変に気づいて動く「人」が形骸化されると意味がありません。
一方で、ミナリの家族のように互いを気遣い、支え合う組織は驚くほど堅牢です。コミュニケーションが活発な現場では、ミスが発生しても「抱え込まずに全員で解決しよう」と素直に共有できます。日常のちょっとした違和感や異常をメンバー同士が早期に察知できます。セキュリティ意識が自然と共有・向上し、万が一のトラブル発生時にも迅速な情報共有と集合知による対応が可能です。
新大久保の賑やかな店内で味わったミナリのたくましい香り。映画が教えてくれた家族の絆。技術的対策と人的対策の両方が揃っているのが理想であることは言うまでもありませんが、もしどちらか一方を選ぶとすれば、わたしは「互いに支え合い、言葉を交わし合える組織」を選ぶと思います。
どんな困難な環境下でもしなやかに根を張り、全員で助け合って試練を乗り越えていく雑草のような強い絆——それこそが、どんな高度なシステムをも凌駕する、情報セキュリティにおける最強の防壁だと思うのです。