家電メーカーの商品企画部に勤める入社3年目の美咲は、同僚や先輩たちの学歴を気にする性格だった。美咲自身は地方の県庁所在地にある偏差値58程度の国立大学工学部出身で、「もう少し上の大学に行けたはずだ」という思いを引きずっていた。一方、リケジョとしてのプライドもあり、東京の大学に進学した高校の同級生たちへの複雑な感情も抱えていた。
美咲はスマホで、知り合いの出身大学を検索し、偏差値を調べ、社内の人間関係を学歴という物差しで測るようになった。「この先輩は偏差値65の東京の私立大学文学部出身か」「あの同期は偏差値55の私立理系か、自分の方が上だ!」と、頭の中で序列をつけていた。
美咲は「自分は地方国立の理系出身なのに、都心の私大出身者ばかりが目立っている」という思いも膨らんでいた。

検索履歴はすぐにアルゴリズムに学習された。美咲のSNSには「学歴ランキング」、「理系と文系の年収比較」、「国立大学と私立大学の違い」「地方国立 vs 首都圏私大」といった記事が次々と流れてくる。美咲の世界は、学歴、文理の価値観で色づけられていた。
ある日、美咲は大きなプロジェクトで失敗した。新商品のスマート家電開発で、偏差値50の東京の私立大学経営学部出身の後輩・佐藤君が「若者世帯向けにSNS連携機能を重視すべき」と提案していた。しかし美咲は「彼は私大文系だし、大した実力はないだろう」と無視した。理系の能力を活かそうと、技術スペックの向上ばかりにこだわった結果、発売後に若年層から全く支持されず大量の在庫を抱える結果を招いた。
美咲は上司から厳しい言葉を受けた。「君は人の意見を学歴で判断していないか?重要なのはお客様の課題を解決できるかどうかだ。それがわからないなら、君に未来はないよ」
その失敗がきっかけで、美咲は自分を見つめ直した。多様な価値観に触れる努力を始め、学歴と能力が必ずしも一致しないことを身をもって学んでいった。東京の私大文系出身者が持つ都市部の消費者心理への洞察力、地方の中堅私大出身者の現場感覚、そして自分が得意とする技術 — それらを組み合わせたときに最高の成果が生まれることに気づいた。
美咲は地方出身者ならではの強みにも気づいた。地方の実情への理解、堅実な判断力、地方のお客様との信頼関係構築力・・・。これらは自分の武器だ。
10年後、美咲は商品企画部の部長として「人を見る目がある」「多様な人材を活かせる」と評価されていた。地方国立大学理系出身というバックグラウンドは、「技術も理解でき、地方の現場感覚も持ち、さまざまな人の視点も尊重できる」という武器が備わった。いまや美咲は、組織に欠かせない存在となっていた。
美咲の学歴への執着は年々強まっていった。フィルターバブルの中で、「理系は優秀」「国立大学こそ真のエリート」といった情報ばかりに触れ続けた結果、その価値観は揺るぎないものになった。「自分は地方国立の理系出身なのに正当に評価されていない」「東京の私大文系出身者ばかりが出世する」という被害者意識も強くなった。
商品企画会議では、地方国立大学出身者には過剰に同調し、偏差値の低い東京の私大文系出身者のアイデアは軽んじた。「文系の感覚的な意見だから」と、真剣に耳を傾けなかった。
美咲の態度は周囲に伝わり、同僚たちは美咲と距離を置くようになった。「美咲さんは人を学歴でしか見ない」という評判が社内に広まった。
10年後、美咲は昇進から取り残されていた。かつての同期や後輩が次々と管理職になる中、美咲だけは平社員のままだった。人事評価には「協調性に欠ける」「多様性への理解が不足」「固定観念が強すぎる」と書かれていた。
皮肉なことに、見下していた佐藤が今では商品企画部の部長として自分の上司になっていた。佐藤は東京での学生時代のネットワーク、発想力、論理的思考を組み合わせ、都市部と地方の両方の市場で成果を上げていた。しかし美咲は、その成果すらも「東京の私大文系優遇の会社の体質が悪い」と、自分以外の何かのせいにしていた。
美咲のスマホには今日も、「地方国立なのに報われない人たち」の体験談、「都会の私大が得をする社会の不公平」といった情報が流れてくる。しかし現実の職場では、誰も彼女の話に耳を傾けない。フィルターバブルの中で固めた価値観と被害者意識が、彼女の人生を狭く、孤独なものにしてしまったのだ。
地方国立大学理系という、普通に誇れるはずのバックグラウンドは、美咲のアタマの中で呪縛に変わっていた。