六十にして耳順う、と孔子は言った。人の言葉を穏やかに受け止め、逆らわず、揺るがない境地に至る年齢だと。だが私はまだそんな境地には程遠い。上司の納得できない言葉には反論したくなるし、理不尽な要求に腹も立ちます。耳は少しも順っていない。むしろ、以前より鋭くなった気もします。
先週、ライブビューイングに参加した同年代のキョンキョンのコンサート。還暦になっても、そこから、新たな挑戦を始めようとする姿に感動し、エネルギーを頂きました。
そもそも孔子の時代の六十と、今の六十は別物です。平均寿命も、体力も、世界の複雑さも何もかもが違う。あの時代の六十は、人生の深い終盤だったかもしれません。しかし今の六十には、まだ熱量があります。枯れるには、ぜんぜん早い年齢です。
ただ、周囲を見渡せば、同級生たちの話題にはちらほらと「定年」という言葉が混じるようになりました。長かった会社員人生にひとつの区切りが見え始め、第二の人生をどう設計するかに心が向いている人は少なくありません。実際に定年した友人もいます。それはそれで自然なことです。でも私には、まだその実感が薄い。むしろ今が、仕事として一番おもしろいかもしれない時期だと感じているくらいです。
同年代の同僚たちも、気づけばいくつかの層に分かれてます。出世して管理職に就き、組織の中で権力を行使する立場になった人たち。逆に、昇進や評価への関心を手放し、波風を立てず静かに日々をやり過ごす人たち。どちらも、それぞれの選択です。否定するつもりはありません。ただ、私はそのどちらにも属していません。30代から50代半ばまで、スタートアップ企業でビジネスを進めた私は、基本的に権力には興味がありません。かといって仕事を諦める気にもなれません。大企業の組織の中では少し浮いた存在かもしれませんが、それでいいと思っています。
私が今、強く興味を持っているのはAIのビジネス活用です。IT業界にいると、その変化の速さと不可逆性を肌で感じます。技術は一度進めば後戻りしない。インターネットが登場したとき、スマートフォンが普及したとき、世界は変わりました。そして今、AIがビジネスの現場に当たり前のように入り込んできた。これも同じ種類の、取り消しのきかない変化です。
この波の中で、自分の仕事をどう発展させていくか。それを考えることが、今の私にとって何より刺激的です。同世代の多くが定年を意識し始める中で、私はむしろ新しい地図を探しています。これは純粋な興味です。
ただ、AIについて思うこともあります。今やツールを使えば、誰でもそれらしい提案書が作れる。それらしいメールが書ける。それらしい企画書が生成できる。一見すると、成果物のクオリティが底上げされたように見えます。でも、そこに落とし穴があります。
AIは使う人のリテラシーによって、その価値が天と地ほど変わります。何を問い、どう問い、何を判断し、どこを疑うか。プロンプトひとつとっても、その背後にある思考の質が問われます。AIが出した答えをそのまま信じるのか、叩き台として批判的に読むのか、そもそも問いの立て方が適切だったかを問い直せるのか。その差は、仕事の成果に確実に現れます。
誰もが同じツールを持つ時代に、差がつくのは道具ではなく、使い手の思考です。これは昔から変わらない原理ですが、AIの登場によってその差がより残酷に可視化されるようになりました。表面上は同じような成果物でも、その中身の解像度はまったく違う。わかる人にはわかる、そういう時代になってきています。
そしてもうひとつ、見落とされがちな問題があります。セキュリティリスクです。AIの活用が日常になるにつれ、情報の扱い方に対する感度が鈍くなっている場面を、私は現場で目にします。社内の機密情報や顧客データを、深く考えずに外部のAIツールに入力してしまう。便利さに引っ張られて、立ち止まる習慣が失われていく。これは個人の問題ではなく、組織全体の情報リテラシーの問題です。
AIに入力した情報がどこに保存され、誰に参照される可能性があるのか。生成された文章の中に、意図せず機密情報が含まれていないか。ツールの利用規約をきちんと読んだ上で使っている人が、果たしてどれほどいるでしょうか。利便性と引き換えに、企業は静かに、でも確実にリスクを積み上げていると思います。AIを「使いこなす」とは、その出力を上手に引き出すことだけではない。何を入力してはいけないかを判断する力も、同じくらい重要です。
リテラシーとセキュリティは、表裏一体です。AIを正しく疑い、正しく使い、正しく守る。その三つが揃って初めて、ビジネスにおけるAI活用は本物の価値を持つと思います。
だからこそ、私はまだ一生懸命に仕事をしています。同僚の誰よりも仕事をしていると思います。経験からのプライドもあります。年齢を言い訳にして手を抜く気にはなれないし、時代の変化を傍観者として眺めるつもりもありません。
六十歳は、孔子の言う「耳順」の年です。でも私には、まだ順う気になれない問いがたくさんあります。AIをどう使うか。仕事をどう深めるか。セキュリティリスクをどう組織に伝えるか。この先の変化をどう読むか。それらの問いに、自分なりの答えを出し続けることが、今の私の仕事であり、生き方だと思っています。
今はまだ途中。枯れるのは、ずっと先です。