叡智の三猿

〜森羅万象を「情報セキュリティ」で語る

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アクセス制御が消えたとき、言葉の完全性は失われた

長らく放置していた、mixiを再開しました。

コミニュティに入っている方のプロフィールをいくつか読んでいると、思うことがあります。毅然と書かれた「お断り」の数々。ユーザーは言葉を尽くして、自分の境界線(アクセス制御の方針)を説明しなければならない。なぜ、こんなにも言葉で伝えることが難しくなったのか・・・。

2000年代半ば、ブログとmixiはほぼ同時に全盛期を迎えました。

情報セキュリティには、CIAと呼ばれる三つの要素があります。機密性(Confidentiality)・完全性(Integrity)・可用性(Availability)です。機密性は「見せてはいけない人に見せない」、可用性は「必要なときに使える」、そして完全性は「情報が正確で、意図した通りに伝わること」を指します。

情報セキュリティのCIA(3要素)

mixiのユーザーが書いている境界線、いわばアクセス制御方針は、この三要素のうち機密性を実現するための具体的な考え方です。誰が、どの情報に、どこまで近づけるかを設計によって管理する。言い換えれば、「見せてはいけない人に見せない」という機密性の原則を、言葉として形にしたものです。

mixiの招待制は、まさにこれを体現していました。知人の知人というつながりの連鎖が、参加者を自然に限定しました。見知らぬ他人が突然現れることはなく、場の空気として距離感と礼儀が維持されていました。アクセス制御は、mixiのプラットフォームの設計そのものの中に埋め込まれていたのです。

アクセス制御は、技術ではなく文化として機能していました。

X(Twitter)や、Instagramが台頭した2010年代以降、アクセス制御の思想は大きく後退しました。

誰もが参加でき、誰もが匿名で他者を観察できます。フォローは指先のワンタップ、リプライに制限はなく、知らない人間からのメッセージも届く。オープンであることが正義とされ、壁を持つことは閉鎖的と見なされました。

機密性を守るアクセス制御が設計から消えたことで、個人がそれを自分で担わなければならなくなりました。 プロフィールに細かな断り書きを並べ、SNS内だけの交流を宣言し、会わないことをあえて明記する・・・。かつてはプラットフォームの設計が守っていた機密性を、いまは言葉で守るしかありません。

その結果、何が起きたでしょうか?

2000年代のはじめ、デジタル空間をめぐる言葉には、まだ完全性がありました。長文を書き、文脈を丁寧に組み立て、読む人の立場を想像して言葉を選ぶ。送り手の意図が、受け手にほぼ正確に届いていました。言葉を尽くすことそのものが、完全性を担保していたのです。

しかし言葉が短くなり、イメージ画像に変わっていくにつれ、完全性は損なわれてます。

全角140文字という制約、スタンプひとつで済む感情表現、「いいね」というワンタップの反応。確かに効率的です。しかし文脈が省略されると、送り手の意図と受け手の解釈の間にずれが生まれます。伝えることと、伝わることは、同じではないことを実感してます。

機密性を守るアクセス制御が機能していた時代、言葉の受け手は限られていました。マイミクという信頼の連鎖の中で交わされる言葉は、文脈を共有した相手に届いていました。文脈を共有しているからこそ、短い言葉でも意図が伝わる。完全性が自然に保たれていました。

アクセス制御が失われると、言葉は文脈を持たない相手にも届きます。文脈のない相手には、言葉の意図が正確に伝わりません。それが完全性が損う要因だと思います。その代償として、プロフィールに長い断り書きを書かなければならなくなったんだと思います。

つまり、機密性を支えるアクセス制御の欠如が、言葉の完全性の欠如をも招いているのです。

その一方、可用性は劇的に高まりました。

いつでも、どこでも、スマートフォン一台で発信・受信できる。情報へのアクセスのしやすさという意味での可用性は、mixiやブログの時代と比べて飛躍的に向上しました。これは、技術の進化がもたらした恩恵です。

CIAの三要素は、バランスが命です。

可用性が突出して高まった結果、機密性と完全性は軽視されました。誰もが誰にでも届けられる自由は、機密性を損ない、文脈を失った言葉の氾濫は完全性を損なってます。可用性の向上が、トレードオフとして機密性と完全性を犠牲にした――これが、現代のSNSが抱える構造的な問題と考えてます。

情報セキュリティの世界では、三要素のどれかが突出すると、必ずどこかに歪みが生まれると言われます。いまのSNS空間に漂う息苦しさは、そのバランスの崩れが生み出しているのかもしれません。

プロフィールに丁寧な断り書きを連ねる人たちは、失われたアクセス制御を、自分の言葉で取り戻そうとしているのかもしれません。

久しぶりのmixiをゆっくり読み、相手の言葉の背景を想像し、返す言葉を考える。その営みは、少し不便です。しかしその不便さの中にこそ、言葉が人に届く瞬間があるはずです。