叡智の三猿

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「明るいなかま」から、信頼と検証の哲学を考える

わたしが小学生(1970年代)のとき、道徳の授業では「明るいなかま」というNHKの番組を流してました。番組の内容はまったく印象に無い(というよりも、ストーリーが面白いとは思えず、番組に集中してなかった記憶・・・)のですが、番組の主題歌は強烈な印象があります。

おそらく多くの同世代の方もそんな印象があると思います。

あいつを初めて知った時 ジロリとにらんだだけだった イヤな感じと思ったけれど 話のわかるヤツだった 喧嘩もしたさ仲間だもんな なかま、なかま、なーかーまー

あいつがその朝来なかった ポツンと机が空いていた 何だかやっぱり気になるんだよ 昨日のうちにゴメンなと 言えば良かった仲間だもんな なかま、なかま、なーかーまー

あいつは時々大人びて フーっと溜息つきながら つまらねーやと言うことがある 黙ってオレは見てるけど わかる気もする仲間だもんな なかま、なかま、なーかーまー

唄: 中山千夏 作詞:岩間芳樹 作曲: 広瀬量平

第一印象で嫌いだった相手が実は「話のわかるヤツ」だったと気づき、喧嘩しながらも絆を深め、相手の溜息の意味を黙って受け止める、そんな不器用だけれど誠実な人間関係を描いた歌詞です。偏見を手放す誠実さ、非を認める内省、押しつけない寛容さ——古代ギリシャの哲学者アリストテレスが「友愛(フィリア)」と呼んだ、見返りを求めない純粋なつながりの価値が、子どもにもわかる言葉で丁寧に織り込まれてます。

歌詞 道徳的価値
ジロリとにらんだだけだった 感情に正直である誠実さ
イヤな感じと思ったけれど/話のわかるヤツだった 偏見を手放す柔軟さと公正さ
喧嘩もしたさ仲間だもんな 困難から逃げない関係への誠実さ
ポツンと机が空いていた 他者の存在に気づける感受性
何だかやっぱり気になるんだよ 気になる、という思いやり
昨日のうちにゴメンなと/言えば良かった ゴメンなと言える誠意
フーっと溜息つきながら 溜息を見逃さない洞察力
つまらねーやと言うことがある つまらねーやを否定しない受容
黙ってオレは見てるけど 黙って見ていられる節度ある優しさ
わかる気もする仲間だもんな わかる気もする、という共感と包容力

しかしその温かさには、組織論から見ると影があります。「仲間だもんな」という強い帰属意識は、感情ベースの信頼を生む一方で、問題を内輪で解決し外に出さない「なあなあ文化」を醸成します。突然来なくなった机の空白はレッドフラグとして機能しうるのに、主人公は後悔するだけで誰にも相談しません。「つまらねーや」と漏らす不満は放置され、犯罪学者ドナルド・クレッシーが提唱した不正のトライアングルを形成します。

ドナルド・クレッシー

不正のトライアングルとは 内部不正が起きる条件を三つの要素で説明する理論です。①動機(不満・プレッシャー)、②機会(監視の甘さ・抜け穴)、③正当化(「自分だけじゃない」「仕方ない」)——この三つが揃ったとき、人は不正に踏み出しやすくなるとされています。

この歌詞に当てはめると、疎外感という動機、属人的信頼による監視の甘さという機会、「仲間だもんな」という正当化——三つが揃っているのです。

だからといって、この歌(明るいなかま)が危険ということにはなりません。これは、レイヤーの分離です。人を道徳的に信頼することと、システムで検証することは、同じ面で競合しません。その考え方の基盤となるのがゼロトラストという概念です。

ゼロトラストとは 「社内だから安全」「仲間だから信頼できる」という前提を捨て、すべてのアクセスを検証するセキュリティの考え方です。原則は「Never Trust, Always Verify(決して信頼せず、常に検証せよ)」。仲間を疑うための思想ではなく、感情論に頼らずログが無実を証明できる環境を作ることで、むしろ仲間を守るための思想です。

あいつのことを心から信頼しながら、アクセス記録も残す——その両立こそが、「明るいなかま」が描いた人間的な絆を、現代の組織の中で壊さず生かす最適解だと思います。