加納正人は、首筋に深夜の冷気を感じながら新宿の大久保公園へ向かっていました。五十三歳の IT 課長で、独身です。仕事以外には趣味は特にありません。承認欲求がやや強めの性格で、人から頼まれると「助けたい!」という感覚が先にたち、断れない性格です。部下から届く「了解しました」という短い返信が、一日の心の支えになっていました。

「遊びませんか?」
スマホを見ながら立っていたショートコートの女性に声をかけました。彼女は瑠璃と名乗りました。21歳、大学生だと言います。白い肌と大きな瞳が印象的でした。
「自分は IT 土方だからな」正人が自嘲気味に言うと、「じゃあ、私は性の土方ですね!」と瑠璃は涼しい顔で返しました。
その言葉は、不思議と正人にしっくりと感じられました。掘っている地面は違っても、どこか似た者同士のような共感を覚えました。
別れ際にLINE は交換しましたが、深く踏み込まないことが二人のルールでした。
三回目に会ったとき、正人は気づきました。
瑠璃のトーク画面に時折現れるハートスタンプ。おそらく彼氏からのものでしょう。要はパパ活してる自分と、彼女とは金銭以外の関係はないのだとはっきり理解しました。
「会いたい。普通のデートがしたいんだ!」
深夜、衝動的に送ったメッセージに、瑠璃は「??」とだけ返してきました。
そう返されても、正人の自制は効きませんでした。
正人は断片的な情報から瑠璃について調べ始めました。SNSで投稿した場所、写り込んだ建物、タグ付けされた友人、交わされた講義の愚痴、投稿時間などなど・・・。
それらの情報を繋ぎ合わせることで、彼女の通っている大学や、友人関係が浮かび上がっていきました。
IT の世界では、こうした「公開された情報だけ」を集め、分析する手法をOSINT(Open Source Intelligence:オープンソース・インテリジェンス)と呼びます。
特別なハッキングは不要です。SNS、Web検索、公開プロフィール、写真の背景からGoogle レンズで情報を絞り込むなど、本人が意図せず晒している情報を集めるだけで、個人の生活圏や素性が明らかになります。
OSINT自体は情報収集の手法であり、その用途は正当なものも多くあります。しかし、ソーシャルエンジニアリングの情報収集など、攻撃と裏腹な面があります。
正人は日々感じている孤独感や承認欲求に押され、理性的な行動ができなくなっているようです。
ついに正人は瑠璃の通っている大学に足を踏み入れました。そこで瑠璃の彼氏らしき若い男性を見つけました。自分よりはるかに整った見た目でした。
正人は瑠璃にLINEしました。「彼氏と別れてくれ。でないと、全部彼氏に話す」
もう成熟した大人なら、絶対にしないはずの行動です。
三十分後、瑠璃からの返信がありました。
「あなたの名前は加納正人さん。品川の生命保険会社 IT 企画部の課長。会社に連絡しましょうか? ストーカー課長の実態として!」
正人は facebookに本名でアカウントを登録し、自らの顔写真を公開してました。最近は全く更新をしてなかったのですが、プロフィールを公開することで、正人の勤め先も役職も容易に探れるという現実を、突きつけられた瞬間でした。
正人のアタマは急速に冷えていきました。
「もう、会わないよ・・・」
「それがいいですね」
それから二人が連絡を取ることはありませんでした。
一ヶ月後、正人はまた大久保公園の前を歩いてました。瑠璃がいるかと探しましたが、いなさそうです。
ここは売春目的の客待ちをする「立ちんぼ」が多く存在するエリアです。「立ちんぼ」をする女性の動機の多くが「ホストへの支払い」と言われます。
「立ちんぼ」は、コロナ禍から目立ち始め、SNSで情報が拡散し、いまは訪日外国人客も増加してます。「立ちんぼ」を見学するだけの人も訪れるなど、一種の観光名所にもなってます。国は風営法を改正し売春強要を禁止し、警察の厳格な取り締まりと、困った時の早期相談を呼びかけてます。
正人は公園を離れました。背中越しに若い男女の笑い声が聞こえましたが、振り返りませんでした。
明日も、土方としての朝が訪れます。
都市で生きる人々の孤独は、ときに不適切な関係に手を伸ばさせます。SNS の時代、インターネットの匿名性は表面的で、誰もが OSINT の対象になり得ます。公開された情報は、時として加害にも被害にもつながる「情報資産」です。
どんな立場にあってもー
- 自分の情報がどのように見られているか
- 相手がどれだけの情報を集められるか
を意識することが、これからの情報セキュリティには欠かせないのでしょう。
参考:佐々木 チワワ
「ホスト!立ちんぼ!トー横! オーバードーズな人たち ~慶應女子大生が歌舞伎町で暮らした700日間~講談社」