この日、わたしは、ローコードアプリの画面開発に没頭していました。ドラッグ&ドロップでコンポーネントを配置し、プロパティを調整します。ローコードアプリは、かってのようなコードを書くよりも直感的で、それなりに自由度も高いのが特徴です。
気づけば、壁に掲げられた時計は夜の十時を回ってました。広い事務所を見回します。照明に照らされたデスクの列には誰もいません。わたしひとりだけです。
部屋の消灯スイッチを押すと、闇が事務所を包みます。ドアロックし、エレベーターホールへ向かいます。一階の玄関口で、守衛さんが「お疲れ様です」と声をかけてくれます。わたしは「お疲れ様です」と返して、ビルの外に出ます。
急に冷たい夜気が肌を刺しました。身体の寒さを感じて、わたしは腕を組みます。「何でこんなに働いてるんだろう?」そんな疑問が浮かびました。

「仕事が好きか?」と問われれば、おそらく "YES" なんだと思います。仕事が嫌いなら、こんな時間まで残っているはずはありません。でも、ワークホリックではない気がします。
そもそも仕事には「やりたい仕事」と、「やるべき仕事」があります。わたしは明らかに、やりたい事を優先して、やるべき事を後回しにしていると思います。この日のローコード開発だって、本当は別の重要な案件を差し置いて、手を動かしています。エンジニアとして「新しい技術に触れたい、面白そうなことをやりたい。」そういう欲求に素直に従って、地味だけど面倒な、でも必要な仕事から目を逸らしているようにも感じます。
それは仕事に対する「怠惰」かもしれません。
真面目に働いているように見えて、実は自分の興味本位で動いているだけかもしれません。夜の十時まで残っていることは、努力の証とはいえません。むしろ、組織に貢献するための優先順位をつけて、仕事をコントロールできない弱点かもしれません。

帰りの電車のなか、そんなことを考えたら、マクレガーのX理論とY理論を思い出しました。X理論は人間を本質的に怠惰で、管理されなければ働かない存在として捉えます。一方、Y理論は人間を自己実現を求め、適切な条件下では自発的に働く存在とみなします。
わたしはどちらなのだろう?
いま勤務する会社はY理論に沿っているのかもしれません。フレックスタイム、リモートワークが認められてます。それはある種の自由を与えられ、信頼を前提にしたマネジメントです。だからこそ、わたしは自分の裁量で十時まで残って、やりたい仕事に没頭できるのです。これはY理論の理想的な姿にも見えます。
しかし、実態はどうなんでしょうか ? やるべき事から逃げて、やりたい事ばかり追いかける姿勢・・・これは自己実現というより、責任回避にも感じます。もしかしたら、わたしは、より管理されなければいけないのかもしれません。X理論的なアプローチが、怠惰を正してくれるのかもしれないからです。
ピーター・ドラッカーは「組織の目的は、個人の強みを生産的なものにし、弱みを無意味なものにすること」と、書きます。そして、知識労働者は自らをマネジメントしなければならないと書いてます。
わたしの強みは何だろう?情報セキュリティ、新しい技術への好奇心、学習意欲、集中力・・・。これらは強みかもしれません。でも、それを生産的に活かせているかは疑問です。やりたい事に時間を費やし、やるべき事を放置すると、組織に貢献しているとは言えません。
ドラッカーが説く「知識労働者の自己マネジメント」とは、この矛盾と向き合うことなんだと思います。ある程度の裁量を与えられた人は、その裁量を適切に使う責任があると思います。監視していないからこそ、自分で自分を律しなければなりません。
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この数年、情報セキュリティの世界では「ゼロトラスト」という概念が注目されてます。従来は「境界防御」・・・外部と内部を分けて、内部は信頼するという考え方が一般的でした。しかし、ゼロトラストは違います。すべてのアクセスを検証し、誰も何も信頼しません。社内ネットワークにいても、常に個別アカウントの認証と認可を求められるのは、ゼロトラストの典型です。
普通、ゼロトラストは、人と情報システムとの関係で語られますが、わたしは自分自身の心に対して、ゼロトラストを適用すべきなのかもしれないと思います。要は「今日も頑張った」という自己評価を信頼しないことです。本当にやるべきことをやったのか!?本当に組織に貢献したのか!?ゼロトラストは、信頼しないことではなく、常に検証することです。わたしは自分自身の仕事を検証しなければならないと思います。
ただ、家に帰れば マスカット チャミスル が「まあ、今日はそれでもいいんじゃない?」と、常に癒そうとしてくれます。その信頼は絶対に裏切りません。