森田童子は主に1970年代にアングラ文化の中で活動した女性シンガーソングライターです。活動中、商業的な成功はなかったが一部に熱烈なファンがいました。1976年に発表した2ndアルバム「マザー・スカイ」の収録曲(ぼくたちの失敗)が、1993年のテレビドラマ『高校教師』の主題歌に使われ、引退後にリバイバルヒットを起こします。このヒットによりベスト盤や全オリジナルアルバムの再発売がされてますが、本人は復帰や取材を拒み、音楽活動の再開はされませんでした。
彼女の歌はアングラと評されるほど「過激」な歌が多くあります。「ぼくたちの失敗」は世間的には有名ですが、森田童子の歌のなかでは、聞きやすい普通の歌にみえます。
森田童子らしい楽曲のひとつが「球根栽培の唄」だと思います。彼女の活動のなかでは晩年にあたる注目曲です。

孤立無援のお前のように
机のすみで 咲きました
死んでしまえばいいと言い
酒を飲む 笑うお前の横顔は
どこかあの花に 似ています
淋しいページの音をめくり
長い思想のむなしさを読む
ぼくはどこまでも
ぼくであろうとし
ぼくがぼくで
ぼくであろうとし
ぼくはどこまでも
ぼくであろうとし
ぼくがぼくでぼくであろうとし
やがて
ぼくはモデルガン改造に
熱中していた
もうすぐ憎愛に変わるだろう
僕の孤独な情念は
壁を突き通す一発の弾丸に
なるはずだった
~「球根栽培の唄(森田童子)1983年」
「球根栽培の唄」は、孤独や孤立感を抱えながらも、そこに秘められた儚くも強い生命力を描いてます。主人公は、誰にも理解されず、傷つきながらも自分らしさを貫こうと葛藤している姿が浮かびます。無力感や自己否定の中で、死や破壊を考える一方で、「花」という生命のイメージが、絶望のなかにも未来への可能性を示しているようです。
タイトルの「球根栽培の唄」の球根は、火炎瓶を意識しているといわれます。社会的な緊張感が漂うなか、若いテロリストの切実な感情が交錯する、暗くて美しい世界を表現してます。
「球根栽培の唄」から見える若者像は、過激派のようなある種の反社会勢力をイメージします。でも、実際はもっと身近なところにも、その根ははっていると思います。
たとえば、会社の中には、誰にも評価されず孤立しているサラリーマンやOLがいます。その人たちは、企業の中で自分の価値を見出せず、深い心理的な葛藤を抱えていることが多いと思います。どの人にも多かれ少なかれ、承認欲求がありますが、職場での承認欲求が満たされない状態は、自己肯定感を著しく損ないます。
その無力感や疎外感から心の空洞を埋めるために、一部の会社員は自らの立場や存在を誇示しようと、内部不正に走る場合があります。その根底には、会社から正当な評価が得られなかったことへの不満や、組織に対する反発心が潜んでます。
内部不正の3要素は、「動機」「機会」「正当化」の3つです。これらが揃うと不正行為が発生しやすくなるとされています。これは「不正のトライアングル」とも呼ばれ、アメリカの犯罪学者ドナルド・R・クレッシーが提唱した理論です。
これは、組織における不正リスクを理解し対策を講じる上で重要な概念です。
- 動機 :不正行為を行うための個人的な理由やプレッシャーを指します。例えば、金銭的な困窮、不当な待遇への不満、業績目標達成へのプレッシャーなどです。
- 機会 :不正行為が可能な状況や環境を指します。監視体制の不備、内部統制の欠如、アクセス権限の過剰付与などです。
- 正当化 :不正行為を正当化する考え方や言い訳を指します。例えば、「会社のお金だから少しぐらい取ってもバレない」「自分だけが悪いわけではない」といった考え方です。

内部不正は、社会から組織全体の信頼を損ないます。本人の心理的な破綻をも招くでしょう。
職場における適切な評価体制やコミュニケーションの充実が、非常に重要です。
どんな社員も「ひとりじゃない」という安心感を持たせられるような職場環境を目指すべきでしょう。
そのためには、仕事の評価は無機質的な数字の成果だけでなく、「頑張っている」とか、チームへの助けも含めた見方をするべきです。上司による独断的な評価だけでなく、同僚や他の部署の人の意見も取り入れた方がいいでしょう。
上司と部下が1対1で話せる時間(1on1)も定期的に作るべきでしょう。この打合せは、注意や指示をする場ではありません。仕事以外を含めて、困っていることや、やりたいことを安心して話せる場にする必要があります。
組織の壁を超えて交流できる場を作ることもいいと思います。たとえば、eスポーツなどで共通する趣味を持つ人たちが、集まり、普段関わらない人とも話せるようにするなどです。
また、匿名で意見や不満を出せる仕組みを提供し、必ず会社としての答えを出すことも意味があります。
誰もが「ひとりじゃない」と感じれば、内部不正の強力な抑止力となるでしょう。