横浜、港北ニュータウンの一般的なイメージは、緑豊かで快適な住環境が整う子育て世代に人気の街という感じでしょうか。
実際に住んでみて、そのイメージはあってると思います。
ただ、子育てのイメージとは裏腹の怖い名前の場所もあります。
「血流れ坂」ーーなんてことはないよくある住宅街の坂なのですが、このようによばれてます。本当に怖い名前ですね。ただ「血流れ坂」というのは、俗名です。正式には「うとう坂」と呼ぶようです。

ここはかって、竹やぶの中にあった坂道です。坂のうえで、犯罪人が処刑された場所とされているようです。坂を降りて少し歩くと「老馬鍛冶山不動尊」があります。それは昔「牢場」があったことから変化したと言われてます。
「血流れ坂」は、それなりに急です。途中で“L”字状に曲がります。そして、坂の上には「竹やぶ」があります。ここで、本当にかっては処刑がされていたのでしょうか!?

「血流れ坂」は、大山道(おおやまみち)の一角です。大山道は、江戸赤坂御門を起点として、伊勢原にある「大山阿夫利神社」までの道のりです。
江戸時代の中頃に「大山詣り」がブームとなりました。東海道の裏街道的な役割で、利用されたようです。「大山詣り」は、鳶などの職人たちが巨大な木太刀(きだち)を江戸から担いで運び、滝で身を清めてから奉納と山頂を目指す庶民参拝です。江戸の人口が100万人の頃、年間20万人もの参拝者が訪れたようです。

大山道は、明治5年に新橋~横浜の鉄道開通によって、さびれました。でも、散歩道としては、いまもそれなりに人気があります。都筑区が主催するガイドツアー(下図)などを通じて「歩いてみる」人もいるようです。

江戸時代はいまよりもずっと刑が厳しかったことは言うまでもありません。
たとえば、機密情報を漏えいする行為は大きな犯罪ですが、それで処刑までされることは今では考えられません。
情報漏えいに関する罪として、いまの刑法では「秘密漏示罪」があります。これは、医師や弁護士などの特定の職業に就いている者が、正当な理由なく業務上知り得た秘密を漏らした場合に成立します。この刑罰は、6月以下の懲役または10万円以下の罰金です。
刑法以外でも、情報漏えいとの関連が深い法律はいくつかあります。
- 不正競争防止法:企業の営業秘密を不正に持ち出したり、使用・開示したりした場合、不正競争防止法違反となり、法人であれば5億円以下の罰金が科されることがあります。
- 不正アクセス禁止法:ハッキングなど不正な手段でシステムに侵入し情報を盗み出した場合、不正アクセス禁止法違反となることがあります。
- 個人情報保護法:個人情報の漏えいに際し、個人情報保護委員会の命令に違反した場合、違反した個人に1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科せられる場合があります。
しかし、江戸時代は「幕府」や「藩」の機密情報を漏えいさせると、極刑にまでなります。
江戸時代、機密情報漏えいにまつわる事件で特に有名なのは、「シーボルト事件」です。これは、1828年(文政11年)に起きた、江戸時代を代表する情報漏えい事件です。
幕府天文方の役人として伊能忠敬の日本地図完成に尽力した人物として知られる高橋景保は、オランダ商館の医師として来日していたドイツ人医師シーボルトが持っていた「世界周航記」を入手したいがために、国家機密である伊能忠敬の日本地図をシーボルトに渡してしまいました。

伊能忠敬といえば、日本全国を測量して精密な日本地図を作成した江戸時代の測量家として有名です。
機密漏えいを幕府に密告したのは、忠敬の弟子で蝦夷地測量や樺太探検で知られる間宮林蔵(間宮海峡で名前が永遠に刻まれてますね)です。林蔵は本職が幕府の隠密だったとされ、景保の出世を妬んでいたとも言われています。
鎖国下の日本は、自国の地理情報が外国に渡ることを極度に恐れていました。単なる地図なので、観光のお礼に渡してもいい気がするのですが、当時は外国からの侵略に備えるための機密情報だったのです。
逮捕から4か月後に獄死した景保の遺体は甕に入れて塩漬けにされました。それ以降、「存命なら死罪」の判決を受けて改めて斬られました。そして、高橋家は断絶となりました。
学問への情熱が国家機密の漏洩という重罪となり、死刑を受けた景保の悲劇は、江戸幕府の情報管理の厳格さを物語っています。現代の感覚からすればありえない厳罰ですが、当時の為政者にとって情報は国家の存亡に関わるものでした。
港北ニュータウンの「血流れ坂」を歩いても、平穏さしか感じません。でも、この閑静な住宅街の歴史の一部として静かに息づいていることも確かなのでしょう。