叡智の三猿

〜森羅万象を「情報セキュリティ」で語る

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少しずつため息覚えた Eighteen

大学1年生の頃、下宿している友人の家に行っては、まだルールを覚えて間もない麻雀をする日が多くありました。

ラジオからは当時のヒット曲が流れてきます。


Thirteen ふたりは出会い
Fourteen 幼い心かたむけて
あいつにあずけた Fifteen
Sixteen 初めてのKiss
Seventeen 初めての朝
少しずつ ため息覚えた Eighteen
~「翼の折れたエンジェル(中村あゆみ)1985年」

このフレーズを聴いた時、対面の友人がこうつぶやきました。

18歳でため息を覚えるって、ため息を吐くには若過ぎるよな~

当時のわたし達はほぼ同年代ですが、受験勉強から解放され、大学生活に期待がありました。「ため息を覚えた」という同年代は、どんな生活をしてきたんだろう?と、想像つかないのでした。

「笑う門には福来たる」ということわざがあります。これは、商売繁盛を願う商人がよく使う言葉だと思うのですが、そういう人にとって「ため息」は大敵です。「ため息を吐くと幸せが逃げる」と言う人もいます。

いま思うに、大学にいた頃は、もっと時間がゆったりと流れていた感覚です。講義の合間に談話室で友人と語り合い、講義がない時間はふらっとちかくの雀荘に行っては、そこには知り合いがいました。理系なので、実験レポートに追われてましたが、どこか心の余裕がありました。そこで、ふとした瞬間に「ため息」がこぼれますが、それは気まぐれで軽やかです。ため息には、未来への期待と少しの不安が、ちょうどよく溶け込んでいた気がします。

でも、卒業して社会に出ると、ため息の質が変わりました。それでも若いときは、プログラム開発の納期を意識しながら、成果物を作ることに集中してました。そこで「ため息」を多く吐きましたが、責任はまだ軽かったと思います。年齢と経験を重ねると、責任の重さが徐々に増してきます。発注者である「顧客」や、委託先など利害関係者との調整が続き、自分の望みはなかなか叶いません。道に迷い、深く吐き出すような「ため息」をつくたび、学生時代の自由が、どれほど貴重だったかと思います。

社会に出ると、何を選んでも誰かが正解を教えてくれるわけではありません。「自己責任」ということが多くなります。社会は複雑です。学生時代のような努力が必ずしも報われるとは限りません。日常的に不公平や矛盾に直面することもあります。

「翼の折れたエンジェル」では、「18歳でため息を覚える」という状況をつくってます。それは、若くして、「理想」と「現実」の落差に出会い、感情のすれ違いや、「建前」と「本音」のギャップを経験しているからこそなのでしょう。

いまの学生は、わたしの学生時代に比べるとはるかに「ため息を覚える」状況になりやすいのではないかと想像します。

それは、昔と今のアタマに入る情報の量と質の違いです。

わたしが大学生だった頃、主な情報源は、雑誌、新聞、テレビやラジオでした。学生時代の友だちは、クラスメイトや、所属サークルやアルバイト仲間です。多くの友だちは大学内で完結してました。

いまの学生は、SNSやYouTubeで情報収集を行い、交流してます。大学という枠を超えて、オンラインで全国の人や、海外の人とつながることも自然にできます。むかしの学生に比べて、様々な情報に接することができます。接する情報は必ずしもポジティブなものではありません。自分の投稿した内容が、SNSでいわれのない、誹謗・中傷を受けることもあるでしょう。

圧倒的な情報量の多さと質の違いによって、多様な生き方を肯定する価値観を受け入れるようになってます。むかしのように大学を出たら、大手企業に就職し、結婚、マイホームの購入、子育て、出世というパッケージ化された人生が全てではありません。

若いプロジェクトメンバーには、結婚する気がない人も普通にいますし、海外に住みながら、オンラインで仕事にアクセスする人もいます。業務経験が充分でなくとも、フリーランスで働く人もいます。

こういう柔軟な選択は、多様性のある生き方として尊重するべきでしょう。

しかし、その選択は「自己責任」を伴います。

自分が理想とする生き方を求めても、現実とのギャップを早い段階で知ることで、「ため息」は、若くして深くなりそうです。

ちなみに、生理学的にみると、「ため息」は悪いこととはされてないようです。

心理的に落ち込んだときや緊張したときに出る「ため息」は、体の緊張を緩める行動とされています。深く息を吸って吐くことで、肺胞を広げ、酸素と二酸化炭素の交換を助けることが、呼吸機能を正常に維持することにつながると言います。

「ため息を吐くと幸せが逃げる」というのは、言い伝えだと思うのですが、科学的には「ため息」を我慢するよりも、ちゃんと吐いた方が、健康にいいんだと思います。「健康」は「幸せ」を得るための絶対条件ではありませんが、健康があると幸せに近づきやすいとは思います。

「ため息」は、ネガティブなイメージがありますが、それはいまの苦痛から単に逃げるためではなく、次のステップに進むための前向きな準備と捉えるのがいいんだと思います。