叡智の三猿

〜森羅万象を「情報セキュリティ」で語る

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古いマーケティング本と生成AIとの対話から

書棚を整理してたら、懐かしいマーケティングの本が出てきました。「データベース・マーケティング」について書かれた30年前の本です。

  • データベース・マーケティング:顧客の属性や購買履歴などをデータベースに蓄積し、その分析を通じて顧客のニーズや傾向を把握する手法。統計分析や情報システムを活用して、ターゲットごとに最適な商品提案や販促活動を行い、効果的なマーケティング戦略を実現する。

この本は、新卒で勤めた会社で、わたしを指導してくれた先輩が編集に関わりました。その先輩から譲り受けた本です。先輩はもう亡くなってしまったのですが、書籍には編集者としてしっかりと先輩の名前が残ってます。

この本の最終章は、AI を活用した「データマイニング」による未来のマーケティングについての言及がありました。

そういえば、データマイニングという言葉自体、最近は聞かなくなりました。

  • データマイニング:大量のデータから統計学・機械学習・人工知能などを用いて、人間では見つけにくいパターンや関係性を抽出・分析する手法。ビジネスや研究などで有用な知見を得るために活用され、相関やトレンドの発見、予測、開発の効率化などに役立つ。

バブルが崩壊して間もない90年代半ば、日本企業のマーケティングは明らかな転換が求められてました。当時「データマイニング」は未来への希望を込めて語られていました。データベース・マーケティングがもてはやされた時代、マイニング技術の発展により、蓄積されたデータから未知の顧客志向を発掘できると信じられていました。

2025年、あの頃から見れば十分「未来」です。でも、データベース・マーケティングが提示したマイニング技術が、マーケティングとして一般的に浸透してるようには見えません。

気になって「データマイニングという言葉は、余り使われなくなった気がします」− 生成AI のひとつ Claude(クロード)に聞いてみました。

Claude は、わたしの問いかけに同調しました。「マイニングの代わりに主流となったのは、A/Bテスト のような限定的で検証可能なアプローチ」だと言います。

  • A/Bテスト:2つのパターン(AとB)を用意して、実際のユーザーに対してランダムに振り分け、どちらがより良い結果をもたらすかを統計的に検証する手法。

たとえば、Webサイトのボタンの色を変更したい場合、元の青いボタン(A)と新しい赤いボタン(B)を用意し、訪問者の半分にはA、もう半分にはBを表示します。一定期間後にクリック率などの指標を比較して、統計的に有意な差があるかを判定します。

マイニングが発展しない別な要因もあります。

プライバシーへの意識の高まりです。90年代には想定してない個人情報保護法や、GDPR規制 により、データの収集・活用に制約が生まれました。それがマイニングを難しくしたのです。

わたしは「いまは、トレンドを生むより、失敗しないことを重視する」時代と受け取りました。90年代のデータマイニングは「データから革命的な発見を!」という攻めの発想でした。現在の A/Bテスト は「この変更は本当に効果があるのか?」と慎重に検証する守りの姿勢を象徴しているようです。

この潮流はデータ活用だけの話ではありません。例えば、2000年代に登場した BPR(Business Process Reengineering)というアプローチは廃れました。いまはオペレーショナル・エクセレンスが提唱されてます。BPR は「既存のプロセスを白紙に戻して、根本的に再設計する」という攻めのアプローチですが、オペレーショナル・エクセレンスは「現在のプロセスを基盤として、継続的な小さな改善を重ねる」守りのアプローチです。

「攻め」か「守り」か!? それぞれ、メリット・デメリットがあります。攻めのアプローチは競合を大きく引き離し、根本的な問題を解決する可能性があります。ただ、失敗時のダメージは甚大です。急な変革に対する組織の抵抗が大きいのも確かです。一方、守りのアプローチはリスクを抑えて、確実な成果を積み重ねられるものの、革新的な変化は生まれにくく、現状の延長線上から抜け出せない限界を感じます。

ただ、 Claude は、「現在のアプローチを BPR 以前の個別最適と同じように考えてはいけない」と言います。

確かにその通りなのでしょう。BPR はもともと「個別最適から全体最適へ」の文脈で語られていました。今の時代を単純に「個別最適への回帰」と捉えてしまうと、この30年間の進化が見えなくなります。

現在は「全体最適の視点を持ちながら、リスクを抑えて段階的に改善していく」ハイブリッドなアプローチと言えるんだと思います。BPR の洗礼を受けた後の、より成熟したやり方なのかもしれません。確かに A/Bテスト にしても、単独の施策として行われるのではなく、カスタマージャーニー全体を意識した中で実施されています。

しかし、90年代を知らない社会人にとっては、「ハイブリッド」という感覚はありません。あの頃も今も、社員は全体よりも個別最適中心の発想であることに変わりはありません。むしろ、ジョブ型雇用が普及し、この傾向を助長してます。ジョブ型雇用が進めば、職務記述書で明確に区切られた責任範囲の中で成果を出すことが求められ、個別最適どころか必然的に「個人最適化」に集中することになります。

あるべき姿と現実のギャップをどう埋めればいいと思いますか?− 逆に Claude から問いかけがありました。

ちょっと悩んだ挙句、わたしはこう答えました。

「仕事のコミュニケーションでは、組織や役職を極力意識しないことが大切ではないか!?例えば『技術部の山崎さん』ではなく、本人が気に入った『zaki』のようなニックネームで呼び合うことを社内のルールにする。そうすれば、革新的な風土を生む契機になるのではないか!?」

「それはとても本質的な答えだと思います」 − Claude が応えました。「技術部の山崎さん」と呼んだ瞬間に、その人は技術部の代表として発言することが期待されてしまう。でも「zaki」として話すなら、組織の境界線を超えて、プロジェクト全体のことを純粋に考えて発言できるかもしれない。と返してきました。

ただ、大企業では社員同士をニックネームで呼び合うのは、現実的に厳しいだろう。という見方もあります。階層や序列が組織運営の基盤になっている以上、それを無視したコミュニケーションは混乱を招きかねません。責任の所在も曖昧になってしまう危険性があります。数千人、数万人規模の組織では、やはり一定の構造化されたコミュニケーションが必要になってしまうのだろうと。

技術は不可逆的に進歩し、理論は洗練されてます。でも現場で働く人々の行動原理は、そう簡単には変わりません。これからも私たちは、気持ちの変革という課題と向き合い続けることになるのでしょう。

生成AI との対話を重ねることで、私たちの思考も少しずつでも本質に近づいていけるのかもしれない・・・という期待もあります。