終戦記念日。頭のなかに「反戦歌」がこだまします。ジョン・レノンの「イマジン(Imagine)」、ピート・シガーの「花はどこへ行った(Where Have All the Flowers Gone)」、そして ボブ・ディランの「風に吹かれて(Blowin’ in the Wind)」。子どもの頃、ラジオから流れてきたそれらの歌は、当時は意味を深く考えることなく、ただ旋律として耳に残っていました。今は、その歌詞のひとつひとつが、命の重さを訴えていることに気づきます。
戦争を知らない世代ですが、映像や書籍を通して知る戦争の現実は、生々しく胸に迫ります。歌は時代を超えて受け継がれ、心に届き続けます。この平和を守るため、私たちはどう考えて行動すべきかを問いかけられているようです。
日本でよく知られる反戦歌といえば「戦争を知らない子供たち(ジローズ)」でしょう。わたしは1979年に中学の音楽の授業でこの歌を習いました。

戦争が終って僕等は生まれた
戦争を知らずに僕等は育った
おとなになって歩きはじめる
平和の歌をくちずさみながら
僕等の名前を覚えてほしい
戦争を知らない子供たちさ
~「戦争を知らない子供たち(ジローズ)1970年」
戦後世代の視点から、戦争体験のない平和の時代を歌った日本の反戦歌の名曲とされます。
音楽の先生からも「これは、反戦歌です」という話があり、この歌を反戦歌と理解しているのですが、はじめてこの歌を聴いたときにやや違和感を持ちました。
なぜなら、1979年に中学生だった自分はまさしく「戦争を知らない子供」なのですが、そんなわたしの名前を誰に覚えて欲しいのか?がよく理解できなかったのです。歌詞の流れからすると、それは戦争を知っている世代に向けてだと思うのですが、だとしたら、戦前世代が覚えるべき名前が多すぎないか!?と思ったのです。
日本の出生数は右肩下がりとはいえ、毎年、何十万、百万もの人が生まれ、戦後世代を形成します。わたしは「戦争を知らない子供たち」をいい曲だと思ったのですが、この曲は時代が進めば進むほど、「反戦歌」の意味を失うように感じたのです。

そして、いまや戦争を知る世代は、80歳以上になりました。日本人の圧倒多数が「戦争を知らない子供たち」です。すでにこの歌は「反戦歌」の核ともいえる「普遍性」を失ってると思います。
反戦のメッセージを訴えるなら、名前を覚えるべき対象は、戦前世代ではないかと思うのです。「戦争を知らない子供たち」でなく「戦争を知ってる高齢者たち」です。
彼らの体験は戦争の実態を直接的に伝える貴重な証言です。歴史の教科書だけでは伝わりにくい、戦争の悲惨さや恐怖、日常生活の苦しさを感じ取ることができるでしょう。生の声を聞くことで、戦争がもたらす痛みや、命の尊さをより深く理解できるはずです。
ですので、この歌は「反戦歌」の代表のようであって、実は「反戦歌」ではないと思います。
むしろ、2番の歌詞にある「若すぎるからと許されないなら」という一文に込められた、ジェネレーションギャップがこの歌のテーマだと思います。この歌が発表されたのは、1970年ですので、戦後世代の年齢は25歳以下ということになります。25歳以下の若者と、それ以上の大人にある価値観のギャップを「戦前と戦後」という区分けで歌にしたと考える方が自然です。
その意味で、ジェネレーションギャップは、いつの時代にもあります。「戦争を知らない子供たち」は、1970年のジェネレーションギャップを歌にしたものです。
たとえば、いま25歳以下の人たちは、2000年以後に生まれた人たちです。
彼らは「インターネットネイティブ世代」であり、物心がついたときは当たり前のようにネットに触れてます。
インターネットネイティブ世代は、情報は「検索するもの」「簡単にアクセスできるもの」として捉えてます。知りたいことがあれば、検索エンジンや生成AIが答えを出すことで、即座に知ることができます。一方、それより上の世代は情報は「記憶するもの」として、学ぶことに価値を置いてます。教科書でいう「目次」に沿った体系的な知識を重視してます。
プライバシーの意識も随分違います。わたしのようなアラカン世代は、プライバシーを意識する概念が根本的に欠けている部分があると思います。そもそも、卒業アルバムには、卒業生みんなの住所や電話番号が掲載されていて、知らない人でも連絡を自由に取ることが出来ました。ちなみに昔の「プロ野球名鑑」には、各球団の主要選手の住所録までが掲載されてました。いまでは絶対にありえないことです。
いまの世代は、プライバシーは保護されるべきという前提があります。情報の公開に対して、「何を、誰に、どの程度公開するか」について戦略的に考えてます。SNSでも複数のアカウントを使い分けたり、公開範囲を細かく設定したりする「プライバシーを管理するスキル」が発達しています。プライバシーの侵害が広く問題として認識されるにつれ、警戒心が強くなってます。