わたしが社会人になったのは1990年です。
当時はバブル絶頂期です。
会社は仕事で溢れてました。大量採用されたわたし達同期は、自慢するような技術力もないのに仕事に明け暮れる日々を送りました。
それでもわたしは、全然マシな方です。
はじめての仕事は3交代制のオペレーターです。キンキンに冷えた窓のないコンピュータ室に閉じこもり、モニターから出される指示に従って、コマンドをたたいたり、カートリッジをマシンに挿入する作業です。
朝番、昼番、深夜版を繰り返します。生活のリズムは自然と乱れ、体調管理は難しいのですが、この仕事には残業という概念がありません。
オペレーターの仕事はマニュアル化されてるので、新入社員のわたしにはラッキーだったかもしれません。
親しかった同期のなかには、配属された部署が悪かったためか、冗談抜きで24時間働き続けた者もいます。彼は炎上している開発プロジェクトに駆り出され、動かないコンピュータの動作テストを繰り返してました。結果的に体調を崩し、早々に退職を余儀なくされました。
学生時代は体育会で鍛えた体力を自慢していた奴だったのに、辞めたことを聞いた時は、少なからずショックを受けました。
果てしなく続く
生存競争 走り疲れ
家庭も 仕事も 投げ出し
逝った友人
そして おれは
心の空白 埋めようと
山のような仕事
抱えこんで凌いでる
J.Boy 頼りなく
豊かな この国に
J.Boy 何を賭け
何を 夢見よう
J.Boy…I'm a J.Boy
~「J.BOY(浜田省吾)1986年」
あの頃から随分とときは流れ、日本企業の働き方は変わりしました。
労働時間の上限は週40時間です。1日あたりの法定労働時間は8時間です。
労働時間を超えて労働させるには、労働者側と使用者が「36協定」という労使協定を締結する必要があります。36協定では、時間外労働(法定労働時間を超える労働)などに関するルールが定められます。
36協定で定められる残業時間の上限は、1か月につき45時間、1年につき360時間です。
むかしは24時間働くのは、一種の美徳?のような雰囲気がありましたが、いま、長時間残業は「悪」でしかありません。
それはそうだと思います。
長時間労働を繰り返すと、仕事のモチベーションは低下し、精神面を含めて体調を壊します。それが、退職理由につながるだけでなく、過労死や自殺の引き金になりえます。
経営資源の重要な要素である「ヒト」が失われると、結局は会社の利益が損なわれます。
いまの企業は残業の実態をチェックし、長時間残業にならないような取り組みをしているようになってます。
単に労働時間だけをチェックするのではなく、仕事の生産性をあげるための改善もされるようになってます。
IT業界の例で書くと、システム開発の仕事は、プログラミングが生産性を悪くする根本要因です。
そもそも、プログラムは、正しいか誤りかのどちらかです。65点という及第点ギリギリといった評価は基本的に存在しません。
プログラマは納期を意識しながら、正解にたどり着くまで悪戦苦闘する日々を過ごしてました。
そのため、IT業界では「35歳定年説」という言葉がささやかれました。
これは、長時間労働を余儀なくされた当時のエンジニアを揶揄した言葉です。
長時間労働が当たり前なので、体力が落ちる35歳になるとこれ以上、働くのが難しいとされたのです。
実際、その年齢を過ぎたら、仕事で眼がショボショボしてきて、頭痛や肩こりを併発し、モニターを見続けるのが辛くなったという人もいました。IT業界から足を洗った知人も多くいます。
ただ、いまは、まったくの白紙のキャンパスにゼロからコードを書くというやり方は、流行りません。
わたしは35歳はとっくに過ぎたアラカンですが、いまはローコード製品のひとつとされるMicrosoftの「Power Apps」を使って開発業務をしてます。
「Microsoft Power Apps」の開発イメージとしては、画面はPowerPointのように任意の場所に項目名や、データの参照・入力位置を設定します。処理は、Excelの関数に近いイメージで、コードを組み込んで行います。ローコードと言われるのは、まったくコードを使わないのではなく、ちょっとは使うという意味です。
ただ、実務では「Microsoft Power Apps」のみを単体で使うことはありません。Power Appsは「Microsoft Power Platform」という製品群のひとつです。同じ製品群である「Power Automate」や、「Power BI」 などと組み合わせて、システムを提供します。
そうした組み合わせロジックは、システムの設計力を必要とすることから、エンジニアとしての経験はある程度あった方がいいでしょう。
ローコードによるプログラミングは手間はあまりかからないのですが、出来ることはまだまだ限定的です。それでも利用者がやりたいことを比較的短期間で提供することが出来るようになってます。
「35歳定年説」に惑わさることなく、いつまでも無理なく働き続けられることを考えるのがいいと思います。