叡智の三猿

〜森羅万象を情報セキュリティで捉える

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スマホのない青春 ①

DX(デジタルトランスフォーメーション)を提唱した、スウェーデンの大学教授、エリック・ストルターマン氏はこういいます。

情報技術の浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる。

DXの理念はとても深いと思います。わたしたち、ITエンジニアにとっては、日々の仕事をするモチベーションになるようなメッセージです。

一方で、「良い方向」の行きつく先が、現実には存在しないユートピアだと信じたいのですが、何もかもがデジタル化されると、コンピュータによって人間がコントロールされる殺伐とした社会になってしまいそうです。

そんな社会で、本当に人間らしい生き方が出来るのかと疑問を持ちます。

わたしが若者だった1990年 日本はバブル景気に浮かれてました。

あれからずっと日本の景気は失速してます。いま、多数の労働者が低賃金にあえぐなか、物価が上昇するというスタグフレーションのなかにいます。

あの頃のバブルを経験した人も、経験していない世代も「バブルよ、もう一度!」と、思っている人は多いと思います。

一方で、情報技術という面では、バブル時代は、いまと比べると非常に貧弱でした。

だから、DXの理念に照らすと、1990年の若者の生活は、いまの若者の生活に比べると、悪かったということになります。

当時の若者の生活を端的に言うとー

「スマホのない青春」

です。

このことが若者の生活を「悪くしていた」すべてだと言えます。

もちろん、当時の若者は、スマホそのものを知らないので、自分の生活が悪いとは微塵も思っていません。

そこで、若者文化の象徴でもある、1990年のデート風景と、いまのデートの違いを考えてみたくなりました。

デートを実現するには、男性若しくは女性から、相手を誘う必要があります。

いまなら、個々人がスマホを所有しているので、Line とかを使って気軽にデートに誘えます。

しかし、1990年の若者は、相手の自宅にある固定電話にかける必要がありました。

そのため、もしもデートする相手の女性が親と同居していた場合、親がまず彼からの電話を取る可能性が非常に高くなります。そして、親は警戒した声を発しながら、彼女に受話器を渡します。

だから、いざデートを実行すると、親は薄々とデートしてることを感づくことになります。

いまに比べ、1990年のデートは重い意味を持つイベントだと考えられます。

女性にとって、男性からのデートを許諾する壁はとても高かったのです。

たとえば、ある女性が、知り合いの男を魅力ある順番にランキングした際、その上位20%にいれば、その女性にとって、魅力的な男性に映るでしょう。そういう男性からの誘いであれば、デートを許諾する確率は高くなります。逆に下位20%の男性は、絶対に近づいてはいけない存在です。

そして、上位でも下位でもない、60% が中間層の男性です。

いまは、デートの障壁が低いので、上位(20%)+ 中間層(60%)= 80% の層に居れば、彼女がデートの誘いを受けてくれる可能性が高いかもしれません。しかし、当時は上位20% に入らなければ、絶対にデートの誘いに乗ってくれないと思われてました。

ですので、デートをする高い障壁を乗り越えるため、あの頃の若者は、皆が自分を魅力的に磨く努力をしていました。

いまの若者なら、「自分を魅力的に磨く」ということは、ビジネスにつながる資格をとったり、スポーツや芸術を実践するような、いわば内面を磨くことを連想すると思います。

しかし、あの頃の若者はそうは考えませんでした。

なぜなら、内面を磨いても、その効果が発揮されるまでに、最低でも半年、下手すると2~3年はかかるからです。

青春は短く、恋愛できる期間はあっという間に終わります。内面磨きに時間をかけるより、手っ取り早く、ブランド品で外見を固める方が、恋愛の即効性があると考えてました。

バブル時代、多数のDCブランドが流行ったのは、男が「ポパイ」や「ホットドッグ・プレス」を買って(女性なら「CanCam」や「JJ」)、トレンドを追い求めたからです。

ですので、アパレルを扱う百貨店は、めちゃめちゃ活気がありました。

ドイツの経済学者、ヴェルナー・ゾンバルトは「恋愛と贅沢と資本主義」という本で、「恋愛や贅沢が資本主義を発展させる」と、書いてます。

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感想(3件)

この本の主張はかなり共感できます。

1990年の若者は、いまより圧倒的に少ない情報量しかありませんが、恋愛するため、必要以上に高価な服を買い、贅沢なレストランに行きました。

バブルによる好景気は、まさに恋愛と贅沢による資本主義が発展した実例だと思います。

努力の甲斐あって、無事に彼女とのデートに漕ぎつけても、難関が待ち受けてます。

たとえば、代官山で待ち合わせするため、東急の中央改札前にて、待てども待てども、彼女は来ないかもしれません。

いまなら、Lineするなり、携帯にかけるなりすれば、彼女の状況はすぐに確認できます。

そこで、たとえば彼女が中央改札口でなく、北口の改札で待っていたとしたら、お互いの行き違いを笑って済ますことができるでしょう。

しかし、スマホのない1990年は、こういう不測の事態に対処する術があまりありません。

彼女が北口で待っているかもしれないと気付いた時は、すでにとき遅く、たどり着いた改札前の伝言板にこんなメッセージが残されているだけかもしれません。

こういう単純な行き違いが起きたのは、事前の情報収集とコミニュケーションが甘かったからです。もし、代官山駅に中央改札と北口改札があることを知っていたなら、待ち合わせをする改札口は、中央改札であることをキチンと相手に伝えるべきでした。駅の構造を知らないなら、デートの約束する前に、駅を下見しておく必要がありました。

なお、1990年、スマホはもちろん携帯電話(PHS含む)もありません。しかし、ポケベルは爆発的普及の一歩前でした。

ですので、もし彼女がポケベルを持ってたら「10105」と、短い数字を送ることで、彼女は相手がすでに駅に到着し、わたしを待っていることに気がつくはずです(10105は「今どこ?」を示す隠語です)。

スマホのない青春②に続く)