叡智の三猿

〜森羅万象を情報セキュリティで捉える

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新聞とスマホとサイボーグと

4月、新しい生活がはじまる時期ですね。

わたしのテレワークはまだ続きますが、今日から息子は大学生になりました。

1990年、わたしが会社員になった頃、自宅がある日野から会社のある赤坂への京王線と丸の内線はいつも満員でした。通勤快速は痛勤怪速と揶揄されてました。乗客は通勤時間に新聞から情報を得ることで満員の苦痛をしのいでいました。

その際、スマートなサラリーマンは、大きな新聞を通勤前に縦方向に四つ折りして、電車内では1面を半分づつ、読み進めることで、周りの乗客が迷惑にならないよう、配慮してました。

特に読んでいる新聞が日経だったりすると「この人はエリート企業に勤めているんだろう」という印象を持たれました。

一方、いまいちなサラリーマンは、新聞の折り方が甘かったり、そもそも折ってなかったり、読み進め方が適当だったりします。読むうちにぺらんぺらんした新聞紙が横に広がって、周囲の乗客の反感を買います。「この人は、出来損ないの会社員」だと、印象付けされました。

いま、通勤電車のなかで新聞を読むサラリーマンはずっと少なくなりました。

誰もが小さなスマホを見て情報を得ています。

いまの時代、満員電車で新聞を読む人がいたら、折る折らないに関わらず、新聞紙を広げる行為だけで、情報化社会についていけてない人間に思われそうです。

新聞を購読している家庭はいまも一定数はいると思いますが、新聞は通勤に持っていくものではありません。朝に自宅で読むものです。若しくは、帰宅してから、ゆっくりと昨日の出来事をふりかえるような読み方が正しいでしょう。

わたしは2年前まで、新聞を定期購読していました。情報セキュリティに関連した記事があると切り取って、スクラップ帳に貼ってました。

いまは新聞の定期購読はしていません。巣ごもりのなか、韓ドラの沼にハマってしまい、Netflix では飽き足らず、U-NEXT の契約もしたことから、サブスクを整理した結果です。

通勤時、情報を獲得する方法の主流が、新聞からスマホになって久しいのですが、いつまでそのスタイルは続くのでしょうか!?

スマホに関してよく聞くのが「歩きスマホによる事故」です。駅で歩きながらスマホを操作すると周囲への注意力が低下し、交通事故や駅のホームでの転落などにつながるおそれがあるとして社会問題になってます。

コンパクトであるものの、持ち歩く行為が新たなリスクを生んでます。

それを回避する手段があれば、スマホに変わって、通勤の主流になるかもしれないと思います。

いまは、ウェアラブルがスマホに変わる第一候補でしょう。

ウェアラブルは身に付けるコンピュータのことです。腕時計、イヤホン、眼鏡、帽子など身に付ける部位によって期待される機能が異なります。腕時計であれば、SNSのメッセージを通知したり、イヤホンであれば、相手との音声翻訳といった具合です。

スマホはパソコンと同じく、一台で機能が何でもそろってますが、ウェアラブルは IoT なので、身に付けるひとつひとつの機能は限定されます。

ウェアラブルのなかで中核的な役割を担うのが眼鏡でしょう。

根拠がいまいち不明な言葉なのですが、よく「人が得る情報の八割から九割は視覚に由来する」。といいます。この言葉は、人間の持つ五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)のうち、情報を得るうえでもっとも重要なのは、視覚だということを伝える文脈で使われます。

本当に情報を得る八割が視覚に頼っているかはさておき、視覚が重要なことは言うまでもありません。ですので、眼鏡型のウェアラブル機器は、視覚に訴える機器なので、ウェアラブルのなかで中核を担うのは当然です。

確かに見知らぬ街、観光地にいったとき、ウェアラブル眼鏡のディスプレイ(HMDといいます)上に、目に飛び込んだ、施設の名称や観光名所の由来が表示されると、知欲が効率的に満たされるかもしれません。

ただ、日常の通勤でいつも見る光景に、ウェアラブル眼鏡を通す必要があるかは疑問です。満員電車のなかでは、眼鏡をかけるより、スマホをいじっている方が気分転換になりそうです。

ですので、ウェアラブルはスマホの機能を補助することはあっても、スマホがウェアラブルに置き換わることは無い予感がします。

新聞を生み出した活版印刷術は1450年頃、ドイツの技師、ヨハネス・グーテンベルクによるものです。そこから 550年もの間、新聞を読むことで、私たちは社会の出来事や論説を確認してました。

新聞に変わって、スマホが情報獲得手段の主役になってから、まだ10数年程度しかたっていません。スマホの歴史はまだまだ浅いです。ですので、これから100年先の人たちが、スマホを持ち歩いて通勤しても、なんら不思議ではありません(その人が持ち歩くのは、iPhone100あたりでしょうか??)。

スマホが新たな機器にとって代わるとしたら、脳と IoT が連動したもので、それが人間の体に埋め込まれている状態でしょうか!?

それは、サイボーグと捉えていいと思います。もし、人間がサイボーグ化する手術を受けたら、その人の思ったことは、電波を通じて外部空間から情報を獲得しにいきます。サイボーグは、スマホを手で操作する必要は無いでしょう。

その時代、サイボーグ化された人間と、そうでない人間には情報格差が生まれます。きっと、サイボーグでない人間は「情弱」と蔑まれるでしょう。

それは、ユートピアなのか、ディストピアなのか・・・。