叡智の三猿

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この支配からの卒業

むかしむかし・・・塾講師のアルバイトで知り合った何名かの先生たちと、プライベートでもしょっちゅう遊ぶことがありました。

ある日、彼らとドライブをしたとき、わたしはエアチェックで作ったオリジナルカセットテープをカーステレオに挿入しました(☜ これ、ある年代以下の方は理解が出来ない文かもしれません・・・😅)そのカセットテープの初めの曲に入れたのが、尾崎豊の「卒業」でした。

f:id:slowtrain2013:20210211210446p:plain:w30夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」

このフレーズを聞いた助手席の友人が、「おー、めちゃくちゃ、アナーキーだな!」と、感嘆しました。友人はそのとき、尾崎豊をはじめて知りました。

それから友人は尾崎豊にハマりました。さかのぼってすべてのアルバムを買い、繰り返し曲を聴くようになりました。尾崎豊を教祖のように崇め、尾崎豊覚醒剤取締法で逮捕されたときも、刑を終えて、夜のヒットスタジオで「太陽の破片」を演奏したときも、半ば興奮しながら、尾崎豊のスケールの大きさをわたしに語っていました。

一般的に、尾崎豊の曲からイメージするキーワードは「不良性」だと思います。しかし、わたしの友人は不良からもっとも縁がありません。私立の名門高校から難関の私立大学に進学した友人は、非常に生真面目な性格です。放課後、窓ガラスを拭いてまわることはあっても、壊してまわることは考えられません。

おそらく、尾崎豊のファンは、その友人と同じく、学校では成績優秀で不良にはなれないが、心のどこかで不良へのあこがれを感じているという人が少なからずいると思います。尾崎豊は渋谷にある青山学院高校に進学しています。当時の青山学院の入学難易度から想像すると、在籍していた中学校では、上位5パーセント以内の成績だったと思います。

青山学院高校から近い渋谷クロスタワーには、尾崎豊の記念碑があり、命日(4月25日)は多くの人が訪れています。

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尾崎豊の記念碑(2018年4月25日撮影)

尾崎豊はデビューをする前から「制作ノート」を書いていたことはよく知られています。出版されている「制作ノート」は、尾崎豊が16歳のときから始まっています。

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絶望的青春(「NOTES: 僕を知らない僕 1981-1992」より)

この文書では、画一化された学歴偏重社会に対する強い違和感を持っていることが伝わります。名曲「卒業」や「15の夜」の原型のような文だと思います。

1980年代は、駿台代ゼミ河合塾を筆頭とする受験産業が巨大化しました。わたしの高校時代は、「生徒の駿台、講師の代ゼミ、施設の河合」といわれ、有名な大学を受験する人はいずれかの予備校に通うのが一般的になりました。旧帝一工、早慶上理関関同立、GMARCH、日東駒専大東亜帝国・・・など、大学を偏差値によってグループ化するのも、この年代からはじまったと思います。受験産業に関わる機関が合格実績を宣伝に使うため、偏差値によるグループ化は効果があるのです。

しかし、こうした人の個性を尊重するのではなく、大人たちにより、単純に数値化された偏差値で分類する教育システムに多くの生徒が違和感を持っていました。

「卒業」はこの歌詞でしめています。

仕組まれた自由に誰も気づかずに
あがいた日々も終る
この支配からの卒業
闘いからの卒業
尾崎豊「卒業」より

特に印象に残るフレーズは「この支配からの卒業」という部分です。

「この支配」の「この」は、もちろん学校を指しているのでしょう。歌詞からは「支配からの卒業」を単純に喜んでいるわけではありません。「この」という指示語をつけることで、次の支配が待っていることを感じさせます。いわば、卒業による解放は一時的なものであり、人は長い人生で、支配をされ続けることを暗示しているのです。

会社に勤めるサラリーマンであれば「支配される」イメージがすぐに分ると思いますが、支配されるのは、サラリーマンだけではありません。卓越したプロのスポーツ選手であろうと、カリスマロックシンガーであろうと、テレビ番組のプロデューサーも、ヒットを連発するコピーライターでも、軽く年収4千万を稼ぐYOUTUBER(ユーチューバー)であっても・・・誰もが何かに仕え、何かに支配されています。