教育と研究
わたしは不出来な大学生活を過ごし、大学よりも大学近くの雀荘の方が思い出深いです。
ですので、大学の先生の授業は、ほとんど覚えていません。
しかし有機化学の教授が授業で次のように話した言葉だけは、なぜか脳に焼き付いています。
わたしは先生ではなく、研究者でありたいと思っています。いまわたしは授業をしているが、わたしの一番重要な役割は研究であることを皆さんにも知っておいて欲しいのです。
大学は教育機関であり、研究機関であります。小・中・高と大学の違いは研究機関としての役割があることです。
教育も研究も社会的な責任を負った重要な仕事です。やや近視眼的に目的をあげれば、教育は学生のため、研究は研究者自身のために働きます。
コロナウイルスの影響で多くの学校は休校しました。ただ、小・中・高はある程度の影響がおさまると、積極的に授業を再開しました。いっぽう、大学は慎重です。学生は登校することなく、オンラインに留まる状況が続いてます。
大学が学生を集めて対面式の講義を開催しない理由はー
- 大学生は通学が長時間で密になりやすい。
- 大学生は行動範囲が広く密になりやすい。
- 大学は教室が決まってなく移動が多いので密になりやすい。
などが語られています。ただ、わたしはそのどれもが本質的な理由に思えません。
多くの大学は研究の役割を教育より重視しているのだと思います。パンデミックな状況でも安全に研究を続けることが望まれます。それには、大学に学生が来ないことが望ましいのです。
学生にはオンライン講義をしていれば、教育機関としての責任は果たしているとアピールしたいと考えているのでしょう。オンラインは対面式よりも勉強に集中できるとか、オンデマンド形式の講義であれば、都合のいいタイミングで繰り返し再生ができるなど・・・オンラインのメリットは挙げれば多くあります。
コロナ禍の中で学生の理解・納得を得るための大学の工夫例(文部科学省の資料より)
オンラインになったことで学生にとっての一番の問題は友だちとの交流がなくなったことです。特に地方から上京した大学一年生にとっては、大学に入学したのに、友だちができず孤独な日々を送っているようです。
このため、いまの高校生の大学受験のトレンドは、地元志向に流れているようです。
大学は教育より研究を重視しているので、高校生があえて上京してまで遠くの大学に通う必要性がないと思うのは当然です。とても賢明な選択だと思います。
プレイングマネジャーの役割
大学の先生が教育と研究のふたつの役割を同時にこなさなければならないのと同様、サラリーマン社会ではマネジャー職でもプレイヤーでもある、プレイングマネジャーという管理職がたくさんいます。
わたしはシステムエンジニアというプレイヤーですが、事業部長というマネジャーの役割も担いました。このとき、プレイヤーとしての役割と、マネジャーとしての役割をどうバランスをとるかを考えました。
そしてー
ほんのわずかな違いです。ただ、この違いはとても大きいのです。
意思決定をするのに必要なのは、どちらかが半分よりほんのちょっと大きいことです。
わたし達が日頃行なっている仕事は、次のようなマトリックスであらわすことが出来ます。
仕事の優先順位を決めるのは難しいことです。
わたしはプレイヤーとマネジャーの役割がぶつかり、わたしの右脳がどちらを優先するかで迷ったとき左脳がー
マネジャーであることを優先しなさい
と、指示を出すのです。この比重は仕事の優先順位を迅速に決めなければならないとき、大いに役立ちました。
それはもちろんそうでしょう。しかし「感染対策」と「経済回復」のどちらが51%なのかを国のリーダーが考えているのかは分かりません。
今年の箱根駅伝の優勝争いは、ラストで駒沢と創価の壮絶なデッドヒートで盛り上がりました。ただ例年ならゴール付近で待機している選手は制限されています。一方、首都圏の1都3県は緊急事態宣言の発出の検討を政府に要請しているなか、沿道には大勢の人が観戦しているチグハグ感・・・。
答えは個々で見つけなさいというのが「自助」なのかなと思ったりします。