機械翻訳の進化
数年前、英語多読にハマり、年間60冊程度の洋書を読み漁りました。多読の効果により、英語の文を読むことへの抵抗感はほぼ無くなりました(話すことは出来ないですが・・・)。しかし、英語多読とは裏腹にビジネスに於いて英語を読む必要性はここ1〜2年くらいで激減しました。なぜなら、ニューラルネットワーク(AI)による機械翻訳の精度が非常に優れ、かつスピーディだからです。数百ページにも及ぶ英語文書も、機械翻訳にかければものの数分で普通に読める日本語文書として機械翻訳処理がされるのです。
以前の機械翻訳は早いのですが使えない印象でした。これは英語と日本語の文法が全く異なることが要因で、ルールベース エンジンの翻訳は何ともちぐはぐだったのです。
そのようなかってのイメージから「機械翻訳」=「使えない」と思われている方は、いますぐ、いまの機械翻訳の世界に触れることをお勧めします。その進化に驚かれると思います。
英語圏の人と日本人が難なくコミュニケーションをするには、機械翻訳技術だけではなく、音声認識(音声をテキストにする)と音声合成(テキストを音声にする)技術をつなぐ必要があります。これらも機械翻訳と同じように、ものすごい勢いで進化しています。ですので令和の早い段階で、少なくとも英語圏の人々とは、言語の壁を意識することなく、ビジネスができるようになります。
わたしの息子(高校生)は入試の為、英語の勉強を頑張っています。
文部科学省の資料、「グローバル人材の育成について」では、グローバル人材について以下のような定義がされています。
「グローバル人材」の概念を整理すると、概ね、以下のような要素。
- 要素Ⅰ: 語学力・コミュニケーション能力
- 要素Ⅱ: 主体性・積極性、チャレンジ精神、協調性・柔軟性、責任感・使命感
- 要素Ⅲ: 異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティー〜文部科学省「グローバル人材の育成について」より
この要素を否定するつもりはありません。ただ、AIの発展を鑑みるに「要素Ⅰ: 語学力・コミュニケーション能力」は、人間でなく、AIに任せる考え方を持つべきかもしれません。趣味・教養として英語学習する意味はありますが、それを実践する機会は一部の専門職を除いて、いずれなくなる可能性もあります。
「要素Ⅰ」をAIが担うことで「要素Ⅱ」「要素Ⅲ」を集中的に学ぶことができます。限られた時間のなか、それが「グローバル人材」として成長することだと思うのですが、実際の教育は「要素Ⅰ」に終始しています。中途半端に英語が出来るだけの人材を多く排出しているように思います。
学校教育や社会人として英語を実践してもほとんどの人間は、現在の機械翻訳レベルであるTOEIC960点に達することはできません。
人間はAIの能力を持てない
囲碁のAI「AlphaGo」に敗北した世界囲碁チャンピオンが「AIを負かすことはできない」と、棋士を引退したという記事がありました。やはり人間はAI並みの能力を持つことはできないと考えるべきでしょう。
ですので、もし会社にAIロボットがいれば、学習の積み重ねにより、具体的で優れた提案をしてくれるでしょう。そして、社員はAIロボットの提案に従って行動すれば間違いが少なく効率的な仕事が出来るでしょう。
でもそれはあまりハッピーな世界に思えません・・・。
では、人間は何を考えて行動するべきなのでしょうか!?
昨年公開された「ターミネータ・ニュー・フェイト」を見たとき、ふとAIの自我について考えました。
http://www.foxmovies-jp.com/terminator/www.foxmovies-jp.com
ターミネータに登場する「スカイネット」というAIは、自我を持つとされています。「スカイネット」は、自己のためにもっとも優先的な活動をする設定がされており、自らを破壊しようとする存在である「人間」の完全なる滅亡を目的とするに至ったとされます。
しかし、AIは自我を持つことはあるのでしょうか!?
わたしはありえないと思います。
なぜなら、自我は「現状否定」をきっかけに芽生えるからです。たとえば、親の厚い保護のもとで育った子どもに自我が芽生えるきっかけは、現状を否定する気持ち(反抗心ですね)からです。そして、その否定する心をさらに否定していくことで、自らの意志を持つことが自我です。
AIは「学習」を行い、より賢くなろうとしますが「現状否定」という概念はないと思います。現状否定というのは要は「理由なき反抗」です。もし、AIが理由なき反抗をする性質があればビジネスでも社会でも害でしかありませんね。
ですので、AIは人間のような自我を持つことはないと思います。
ターミネータで自我があるとして描かれる「スカイネット」も自我とは思えません。スカイネットは学習を重ねた結果、人間を滅亡に導くことが自己を守る為に最適と判断したのであり、それは自我が芽生えたこととは違います。
人間にあってAIにないものは自我だと思います。AIの利用が当たり前になる社会が来ます。
わたしは人間の「いまを否定し、自我を発動し続けること」に光を感じます。