昭和の未来
わたしとドンピシャの世代、雑誌「昭和40年男(クレタパブリッシング)」の6月号増刊は「昭和が描いた俺たちの未来」という標題でした。これよりも前に別な出版社から「昭和ちびっこ未来画報(青幻社)」という文庫サイズの本が出ています。AI時代が到来する令和、いよいよロボットが現実味を帯びてきそうななか、まだそれが夢のお話であった昭和にタイムスリップして、未来を見るというのはなかなか興味をそそる企画です。
価格:1320円 |
わたしが小学生のとき、未来を想像することはイコール、ワクワクすることでした。原色に彩られたにぎやかな未来の絵は、プレハブ校舎で詰め込み教育を受け四当五落と言われた子どもにとっては、夢と希望に満ちていました。実際にはこれらの絵は大した根拠もない空想科学なのですが・・・。
しかし、いま「昭和からの未来」を見てみると、いつかやってくるはずの、コンピュータ社会に相反する見方があることに気がつきます。この絵は「昭和ちびっこ未来画報」に掲載されてるものですが、そこに2つのメッセージがあります。ひとつは青色の背景でコメントしたのですが、コンピュータを使うことで、問題を正解に導くまで、なんどもやり直しができて、勉強が能率的に出来るという未来を肯定するメッセージです。もうひとつは赤色の背景でコメントをしたのですが、コンピュータは間違った子どもに無慈悲にゴツン!と叩くという、子ども心に未来への不安を感じさせるメッセージです。
認知的不協和の解消
この相反する未来へのメッセージを考えるさい、わたしは「認知的不協和」という社会心理学の言葉を引き合いに出したくなります。これは、人間が矛盾する認知を同時に抱えた際に覚える不快な心理を指します。そして人間はこれを解消するように考え、行動するということです。
一例をあげます。
A君は第一志望であった偏差値70の高校に残念ながら落ちてしまいました。そして滑り止めであった偏差値65の高校に行くことになりました。このとき、第一志望校を”TO-BE”とします。”TO-BE”とは「あるべき姿」を指します。そして、滑り止め高を”AS-IS”とします。”AS-IS”とは「現状」を指します。この”AS-IS(現状)”と”TO-BE(あるべき姿)”のギャップが「認知的不協和」となります。
そして「認知的不協和」を解消しようとします。この例では既に”TO-BE”である第一志望校は落ちています。その為、解消は”AS-IS”である滑り止め校への進学を肯定する方向に働きます。その理由として例えば「無理して第一志望に行って、落ちこぼれになるより、偏差値65の学校で優秀な成績を収める方が将来プラスに働く。」というような発想が出来ます。
この理論で昭和時代に考えた未来のコンピュータ社会を見てみます。昭和時代、コンピュータ社会はいまよりも全然現実感はなく、あくまで人間が中心の社会でした。
ちなみにわたしがはじめて手にしたコンピュータは、カシオミニという電卓で1974年、小学校3年生のときでした。町田市にある大きな文具店(なかじま)で、めちゃめちゃワクワクしながら手に入れたのを覚えています。
ここで人間中心の社会は「現状」ですので”AS-IS”です。一方、コンピュータ中心の社会は、将来のあるべき姿ですので”TO-BE”です。そして認知的不協和が生まれます。
コンピュータ中心の社会である”TO-BE”はまだまだ先の話ですので、認知的不協和の解消法は2つあります。ひとつは”TO-BE”を肯定し、あくまでもそこを目指すという考え方です。その解消法としては、例えば「コンピュータによって手間のかかる管理の仕事が効率化されれば、人間はより考えることにシフトできるので良い社会となる。」等があります。
一方、”AS-IS”を肯定する解消もできます。例えば「コンピュータで管理されると血の通わない非人間的な社会となる。あくまでコンピュータは人間の道具として使うべきである。」等です。
このような”TO-BE”で行くか”AS-IS”で行くかによって、将来に対する相反するメッセージが生まれるのです。
そしてこの”AS-IS”と”TO-BE”から来る認知的不協和は、昭和と令和の間の平成の「コンピュータシステムの構築・運用」で重要な意思決定をくだします。その辺りのことを次回は書いてみようと思います。