叡智の三猿

〜森羅万象を情報セキュリティで捉える

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三猿と庚申信仰の情報セキュリティ

三猿と庚申信仰

「見ざる、言わざる、聞かざる(三猿)」というと、真っ先に日光東照宮を連想すると思います。しかし、三猿は日光まで行かなくても身近なところで見ることが出来ます。ちなみにわたしが散歩する範囲内にも少なくとも3箇所で三猿を発見出来ます(ちょいと田舎だからかも!)。

路傍や土手の端、住宅街の一角などにポツンと暮石のようなモノを見かけることはありませんか?

これはわたしの家のすぐそば、早渕川沿いの土手にあります。

下の部分をズームアップします。

古い彫刻ですので、見づらいですが、三猿を拝めることが出来ます。

これは庚申塔と呼ばれています。庚申信仰は江戸時代に流行しました。60日毎に回る庚申の日は、人間の体の中にいる虫が、眠っている間に抜けだし、悪い行いを天帝に告げ口することで、命が縮まると信じられていたようです。そこで、みんなで庚申塔の前に集まり、その日は寝ないで過ごし「長生きできますように」と祈っていたようです。

もうちょっと散歩して正覚寺に来ました。立派な山門です。

正覚寺山門
この山門をくぐると、庚申塔が群れをなして並んでいます。

こちらは寺院の中で管理されているためか、彫刻が綺麗なままで残っているようです。庚申塔には三猿のほかにもいろいろな彫刻が施されています。近くに寄って見てみます。
庚申塔各部
庚申塔の形にはいくつかバリエーションがあるようなのですが、ここにあるのはもっともスタンダードな形のようです。

事なかれ主義と叡智の三猿

庚申塔と三猿の関係ははっきりはしていないようですが「見ざる、言わざる、聞かざる」の振る舞いが、庶民が天帝への命乞いを現していると思われます。そして庚申塔の三猿を見ながら、わたしは日本人の情報セキュリティリテラシーについて、複雑な思いを感じました。

日本では「事なかれ主義」がはびこっています。争いを嫌い、平穏に片づけようとする姿勢は日本人によく見られる性格です。
わたしは何も見ていません。
わたしは何も言いません。
わたしは何も聞いてません。

これが事なかれ主義の本質です。日本の社会でしばしばこの本質に触れることがあります。庚申塔を見ながら、これはもしかしたら日本人のDNAかもしれないと思いました。

情報セキュリティのリテラシーに於いて「事なかれ主義」は、いい結果をもたらしません。

例えば、X社でこんなトラブルが起きました。

  1. X社の営業課のA君は、Y社に送るべき請求書を誤って、別な得意先であるZ社に送付した。
  2. Z社からの連絡を受け、A君は誤って請求書を送付したことを知った。
  3. A君は上司であるB課長にどう対応するべきかを相談した。
  4. B課長はZ社に電話して、請求書を破棄するようA君に指示した。
  5. A君はZ社に電話して、請求書を破棄してもらうようお願いした。
  6. Z社は請求書を破棄した。
  7. A君はB課長にZ社が請求書を破棄したことを報告した。

ここでB課長がA君に対して「とりあえず解決したからよかったが、今後は気をつけるように」で済ませたら「事なかれ主義」です。これではX社の情報セキュリティのリテラシーの向上は望めません。

このトラブルはセキュリティインシデントです。営業課だけで解決するべき問題ではなく、X社全体の問題として対処する必要があります。そのためには、X社の情報セキュリティ責任者に報告する必要があるでしょう。インシデント解決後、再発を防止する為、請求書を送付する際にダブルチェックする体制を検討する必要があるでしょう。

わたしたちが目指すべきは「事なかれ主義の三猿」でなく「叡智の三猿」です。

  • 早渕川沿いの桜が綺麗でした。いま、世界中が不安に満ちていますが、明日への希望を早く持てるようにしたいですね。


  • 四季折々で美しい花をみせてくれる正覚寺。特に紫陽花の季節は見頃です。